六人の修道女,七人の兄弟姉妹といった数性に宗教的な寓意が感じられないわけではない.マリア(ジュリー・アンドリュース)は,少女性の中にも母性を持ちながら,こうした集団を渡り歩く.
歩くばかりではない.走り出す,踊り出す,歌い出す.そこには噴水があり,バスが走り,銅像があリ,石があり,川が流れる.水面があり,草原があり,斜面があり,山が見えている.マリアは高いところにのぼりたがってもいる.1930年代のザルツブルグやその郊外は美しく,人物たちを風景の中に受け入れている.大佐(クリストファー・プラマー)は,男やもめとして,軍隊に従軍していた頃の生活に自らと家族を適応させながらも,ナチの勢力の増長には強く反対している.行進と笛が日常にある.しかしそれ以上に,十字を切ることに慣れ,十字の飾りを胸元に見せ,十字勲章を首からかけているのが彼女や彼らの生活でもある.
風が吹く,雨が降る,雷が鳴る.カエルやクモもいる.こうした野生に同調するかのように,木登りをし,ボート遊びをし,水に落ち,ずぶ濡れになっている子やマリアがいる.こうした遊びは,運動となって,世界を連動させていくように見える.私のお気に入りのものが歌い込まれ,カーテンとともに踊り出し,ボール遊びをして,ギターを持ち運んで,ドレミの歌の合唱をする.階段を降りては上り,馬車に乗り,鞭で指揮をしながら移動する.そして自転車に乗る.ダンスの振り付けが揃い,アクションがシンクロしてきている.キャメラは人物につられ,人物はキャメラにつられ,キャメラとともに観客をも動かそうとしている.
人生に目的があるように見せているのが現実である.作劇としてマックス(リチャード・ヘイドン )とエルザ(エレノア・パーカー)も家族とマリアの前に現れてくる.人形劇が自主的に上演され,ダンスパーティーも催され,温室での接近がオペラ的に演じられながら,その上演はそのまま結婚式の披露へとつながっていく.セリフのような「ハイル・ヒトラー」が吐かれ,鐘の音はナチスの行進の足音へと重なりつつ,変化していく.
車を押して夜逃げをしようとしている一家がある.ヘッドライトと視線が舞台をつくる.祖国を愛しながら離れることの放浪にヨーロッパ精神が見えようとしている.長く伸びる影とともに,墓場を抜け,やはり歩いて,何かを越えようとしている.音楽もセリフもなく静かに見えていることもある.