変な例えだが、
エッチビデオで女が男に乱暴に扱われても喜んでいるように描かれるのは、
「女の喜ぶ顔が見たい」と男が思っているからではないだろうか?
現実の恋愛でも、
男は好きな女のご機嫌を取ろうとしてあれこれつくして、
そのことを本当に気に入ってもらえているか?
いや、ひょっとしたら気に障ることをしてしまって怒ってしまったのではないか?
ということをとても恐れているのではないだろうか?
しかし、
男は、同性の他の男ですら何を考えているのか判らないのに、
女が何を望んでいるかとか、
女の言動などからどう思っているのかを読み取るとか、
全くと言っていい程判らない。
恋愛下手な男にとって、
自分に自信がないこと以上に、
この「女の気持ちがわからない」ということが恋愛に積極的になれない原因で、
これが判ったらどんなにいいだろうと思うのではないだろうか?
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というわけで、この『オアシス』という映画は、
思っていることを言葉や表情で表わせない「筋肉運動」に問題のある女と、
相手の立場になって考えたり自分の立場をわきまえて自分を抑えたりすることの出来ない「精神」に問題のある男のラブストーリーである。
ここで描かれるれる恋は、
上に述べたように男にとってはとても大きな障壁のあるもので、
一方、女にとっても障壁が大きい男であろう。
愛し合う2人の前に大きな障害が立ちはだかるということで、
典型的なラブスト-リーの設定でありながら、
体の障害が愛の障害にになっているのが有効で判りやすい。
面白いのが、
妄想シーンとして、女の筋肉が自由になって動き回るシーンが時々あり、
そこで映画を観る者に対して、
彼女は表面には出ないものの、
心の中では健常者と同じようにちゃんと物事を考えていること、
そして彼女が考えていることは男を愛していることだということが示される。
このあたり、
女が考えていることを知りたい、
女に喜んで欲しいという、
男の気持ちをくすぐられる。
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ところでこの映画、
主人公の2人はどちらも周りの人々に疎まれているが、
そんな2人が「似たような相手同士で惹かれ合った」というような疎外感を強調した描かれ方をされてないのは何故だろう?
ベタベタするのを避けるためだろうか?
それから、
映画の設定が『ダンサー・イン・ザ・ダーク』とよく似ているのだが、
類似性が目立たないのはラストの印象の違いが大きいということなのか?
まあ、あんまり意味の無い比較なのだが、
私としては悲劇が好きなので、
どちらも良く出来た悲劇だというのが感想。
(以上、劇場公開時に書いた感想に、若干の手直しをした文章)