ある女が深夜にハリウッドのマルホランド・ドライブという道で事故に遭う。その女は車から這い出て、何とか住宅街にある高級アパートの一室に忍び込む。翌朝そこの住人の姪で女優志願の女がやって来る。女優志願の女は事故に遭った女を叔母の友人と勘違いして世話をする。事故に遭った女は頭を打って記憶喪失になっており、女優志願の女は彼女の記憶を取戻す手伝いを買って出るのだったが・・・。
クライマックスはこのあらすじの流れが180度ひっくり返るようなドンデンになっている。あえてあらすじに人物の名前を書かなかったのは、このドンデンにより名前が意味をなさなくなるからだ。我々が普段用いている名前とは一体何なのか?という問いが投げかけられる。当たり前のように語っている名前が果たして本当に自分の名前なのか?違う名前の自分がどこかで存在しているかもしれないと思わされ、自分は一体誰なのか?という哲学的な疑問が湧いてくる。
本作は女優志願の女の夢と現実という二つの世界を描いている。希望と愛に溢れた夢の世界と絶望と憎しみに満ちた現実の世界のコントラストが残酷なほどにはっきりと描かれている。破滅的なラストシーンの後は理想と現実の違いを更に突きつけられ、言いようもない悲しみをもたらす。
名前とは一体何なのか?夢と現実、自分が生きているのは一体どっちの世界なのか?まやかしだらけのこの世に振り回されて生きている我々は何て悲しい存在なんだろうかという心境になる。デイヴィッド・リンチ監督によるモンタージュを駆使した脚本とシーン構成、そして二つの世界の主人公を演じたナオミ・ワッツの圧巻の演技により、本作は美しさをも感じさせる、これ以上ない悲しい映画になっている。
デイヴィッド・リンチが仕掛けた謎や伏線により、観る度に姿を変えそうな予感を孕み、適度な娯楽性も有する本作は中毒性のある危険な映画である。希望と絶望、愛と憎しみを織りなしたサイコサスペンスの傑作!