1984年、イギリス。10歳そこそこで将来の方向性を見出すことができたハッピーな少年。
ボクシングよりもバレーに魅かれてしまう気持ちに素直に従うことができるのは少年ならでのこと。
父親と一緒に働く炭鉱労働者の兄は倍ぐらいの年の差があるかもしれない。兄の年齢になると、父親同様に男がバレーなんかとんでもないという意識が先に立ってしまう。はじめは反対していたものの父親も兄もその才能を認める柔軟さを持ち合わせている。そうした意味でも少年は幸せだった。
一方、時代はサッチャーが今につながる新自由主義的な経済政策を大胆に推し進めたころで、民営化や規制緩和を推進するうえでも強すぎる労働組合を弱体化させることが必要だった。炭鉱労働者も例外ではなかった。
こうした国の政策は日本にも波及し、中曽根内閣では国鉄などの民営化が行われ、小泉内閣の郵政民営化なども記憶に新しい。私も当時こうした民営化の対象に勤めて、マスコミも総動員する組合つぶしの大波に翻弄された。職場には求人票が貼りだされ、転職を余儀なくされた。だから、この父親や兄の苦しさがよくわかる。スト破りのバスに乗る父親の心情には涙した。同時に、若者が夢を追い求める姿に手放しで拍手したい気持ちになった。