このストーリーをどうしても拒否してしまう理由は、
「遺伝によって人の能力や健康状態が決まる」という発想があまりにも非科学的で、
むしろ、後天的な要因の方が大きいと思うから。
「遺伝で決まる」が間違いだという最も解りやすい例は、
遺伝に問題がなくても、ケガや病気で後遺症が残るし、
不勉強や不摂生などで、知力や筋力や運動能力が落ちる事。
あと、製作された1997年当時に比べて技術が発達した今となっては、
生体認証で済む個人認証を、代わりに毎日採血や採尿で遺伝子検査をするのがバカげて見えてしまう。
以上の科学的な考証のズレ具合を見ると、
上層の人間たちが常にスーツ姿なのも、
不自然で非現実的で安直な設定だと感じる。
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でも、発想を変えて、
遺伝子検査によって、
「優秀な人間であることを約束されている」
「どう頑張っても能力を発揮できる人になれない」
の2種類に分けられるという考えに基づいた社会の設定は、、、
根拠のない「差別」が蔓延している状況を象徴していると考えることもできる。
ただ、仮にそうだとしても、
この作品は登場人物が
「差別が間違いだと気付く」
「差別主義を解消しようとする」
のではなく、
「差別社会の中で上手く振舞う」
というストーリーなので、
反差別的な要素は弱い。
改めて、発想を変えて、
「不幸な状況にある主人公が、悩んだり頑張ったりしながら自分の人生を拓いていく」
という話だとは言えるが、
SFという構えの大きさに比べたら、不釣り合いになってしまうかな?