備忘メモ:
いきなりですが、私の解釈を、、、
CUREしてくれる伝道師が間宮(萩原聖人)から高部(役所広司)に移った。間宮が記憶を取り戻した時点で、高部に完全に移ったのだろう。※CUREするという意味は、対象となる人の心の負担を解消してあげる事。その為の手段なら、何をしてもOK。
ラスト、晴れ晴れとしていつものファミレスで食事をとる高部(その前のシーンで、妻が看護師に×殺害されたことを示唆している)。高部がウエイトレスに声を掛けた後、彼女は大きなナイフを持つ、誰を刺しに行くのか?夕暮れの街角を映して、映画は終わる。これが日常で、平和な一時なんだよぉ、とでも言わんばかりの楽曲をバックに。
憑依される以前から、高部は妻が自殺するシーンを頭の中でみていた。その時は、彼の表情は後悔の念に襲われていた。当作品でのCUREは、そういう後悔を排除してあげること。いや~、本音と後悔、これの狭間で悩むからこそ、色んな人間の感情も生じてくる。それを排除して、やりたい事(自分を悩ます人は殺してしまう)に一直線で向かうのは危険。現代社会はそうなりつつあるよぉ、と黒沢清は描いている感じがする。
憑依する者そのものの存在は映像で出てこないが、影響を受けた人物の表情・行動で伝道師の存在が浮かび上がって不気味さを表現している怖さが素晴らしい!
最後の方に出てくる廃墟の倉庫(実験場?)に残る写真の男性が伝道師か?
催眠術の補助ツールは火だけではない。当作品では、水だったんだね。水が這う様に広がるシーンが、これまた不気味。
間宮の禅問答的受け答えは、確かに尋問者のやる気を削ぐ。この作品を見た犯罪者が、この手法を実際に使ったらどうなるだろう、、、