タイトルの「お早よう」は,子どもたちから見て大人同士の無意味な言葉の掛け合いを象徴する挨拶を意味する。
本作が製作された昭和34年は高度経済成長期に入った日本で家電の3種の神器と言われた洗濯機、テレビ、冷蔵庫が段々と普及してきた頃で、本作に登場する5家族の中でも買った家の話が出てくる。
また定年になった富沢(東野英治郎演じる)の再就職先が家電の販社らしい。
主人公の林家の父親が彼の再就職に対するはなむけとして子供らが欲しがっていたテレビを買ってやるエンディングは予想されたとはいえ、まだ近所の人情実のある世界だった。
反面、妻に自らの定年が近いことを指摘されてふさぎ込む父親(笠智衆演じる)の姿が感慨深い。
この時代は定年が恐らく55歳くらいではないかと推察するが、林家はまだ子供(次男)が小学校低学年でこの先大変(再就職は必須ではないか)だろうなと思われた。
そんな時代背景に郊外の平屋の戸建ての借家(似たような仕様なので恐らく)が立ち並ぶ家並みの5家族(特に小学生のいる4家族を中心とした)の隣近所の交流がコミカルに描かれる。
小学生らは帰って来ると相撲中継を見たさに親の目を盗んで、唯一子供のいないテレビのある丸山家に集まって来る。
丸山家は若い夫婦だけで若い妻は他の家からは白眼視されていて、出入りしないように子供たちに伝えてあるのだが言うことを聞かない。
若い夫婦はテレビを見に来る子供たちに鷹揚に接しているが、その親たちの陰口や付き合いにうんざりしているようで最後には長屋のような平屋群から引っ越すことになる。
本作ではこの4家族特に妻たちの町内会費の徴収のやりとりと行き違いから根拠のない陰口や疑心暗鬼がはびこる隣近所の付き合いの本音と建前のいやらしさ(特に杉村春子がうまい)がにじみ出てくる。
それに比べて子供たちの屁での挨拶の馬鹿らしさが可愛いく見えてしまう所が可笑しい。
特に屁をしようとして腹を壊している子が実を出してしまうギャグは小津の生身のセンスが伝わる。
物干し竿に何枚もの洗濯されたパンツが干された様子(洗濯機を買ったこともよくわかる)が可笑しい。
本作では子供から見た大人の無意味な挨拶への抵抗(テレビを買ってくれないことに対する抗議が本音)が、やがて大人になる子どもにも大人同士の建前と本音の萌芽を匂わせながら当時の子どもと大人、隣近所の付き合いといった生活の一断面をコミカルに描き出す
小津監督の奥行の深さを感じ取れる作品だった。