お早よう

おはよう|----|----

お早よう

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レビューの数

64

平均評点

75.7(302人)

観たひと

461

観たいひと

29

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル コメディ / ドラマ
製作国 日本
製作年 1959
公開年月日 1959/5/12
上映時間 94分
製作会社 松竹大船
配給 松竹
レイティング 一般映画
カラー カラー/スタンダード
アスペクト比 スタンダード(1:1.37)
上映フォーマット 35mm
メディアタイプ フィルム
音声 モノラル

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

監督小津安二郎 
脚本野田高梧 
小津安二郎 
製作山内静夫 
撮影厚田雄春 
美術浜田辰雄 
音楽黛敏郎 
録音妹尾芳三郎 
照明青松明 
編集浜村義康 

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

出演笠智衆 林啓太郎
三宅邦子 林民子
設楽幸嗣 林実
島津雅彦 林勇
久我美子 有田節子
三好栄子 原田みつ江
田中春男 原田辰造
杉村春子 原田きく江
白田肇 原田幸造
竹田浩一 大久保善之助
高橋とよ 大久保しげ
藤木満寿夫 大久保善一
東野英治郎 富沢汎
長岡輝子 富沢とよ子
大泉滉 丸山明
泉京子 丸山みどり
佐田啓二 福井平一郎
沢村貞子 福井加代子
須賀不二夫 伊藤先生
殿山泰司 押売りの男
佐竹明夫 防犯ベルの男
桜むつ子 おでん屋の女房
菅原通済 客・通さん

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

「彼岸花」につづいて野田高梧と小津安二郎が書いた脚本を、小津安二郎が監督した、大人と子供の世界を描いた一篇。撮影は「春を待つ人々」の厚田雄春。

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

東京の郊外--小住宅の並んでいる一角。組長の原田家は、辰造、きく江の夫婦に中学一年の子・幸造、それにお婆ちゃんのみつ江の四人暮し。原田家の左隣がガス会社に勤務の大久保善之助の家。妻のしげ、中学一年の善一の三人。大久保家の向い林啓太郎の家は妻の民子と、これも中学一年の実、次男の勇、それに民子の妹有田節子の五人暮し。林家の左隣・老サラリーマンの富沢汎は妻とよ子と二人暮し。右隣は界隈で唯一軒テレビをもっている丸山家で、明・みどりの若い夫婦は万事派手好みで近所のヒンシュクを買っている。そして、この小住宅地から少し離れた所に、子供たちが英語を習いに行っている福井平一郎が、その姉で自動車のセールスをしている加代子と住んでいる。林家の民子と加代子は女学校時代の同窓で、自然、平一郎と節子も好意を感じ合っている。このごろ、ここの子どもたちの間では、オデコを指で押すとオナラをするという妙な遊びがはやっているが、大人たちの間も、向う三軒両隣、ざっとこんな調子で、日頃ちいさな紛争はあるが和かにやっている。ところで、ここに奥さん連中が頭を痛める問題が起った。相撲が始まると子供たちが近所のヒンシュクの的・丸山家のテレビにかじりついて勉強をしないのである。民子が子どもの実と勇を叱ると、子供たちは、そんならテレビを買ってくれと云う。啓太郎が、子供の癖に余計なことを言うな、と怒鳴ると子供たちは黙るどころか、「大人だってコンチワ、オハヨウ、イイオテンキデスネ、余計なこと言ってるじゃないか」と反撃に出て正面衝突。ここに子供たちの沈黙戦術が始まった。子供たちは学校で先生に質問されても口を結んで答えないという徹底ぶり。この子供たちのことを邪推して近所の大人たちもまた揉める。オヤツをくれと言えなくて腹を空かした実と勇は原っぱにおヒツを持出して御飯を食べようとしたが巡査に見つかって逃げ出し行方不明となった。間もなく子供たちは駅前でテレビを見ているところを、節子の報せで探しに出た平一郎に見つかった。家へ戻った子供たちは、そこにテレビがおいてあるのを見て躍り上った。停年退職した富沢が電機器具の外交員になった仕事始めに月賦でいいからと持込んだものだった--。

キネマ旬報の記事 ▼ もっと見る▲ 閉じる

1959年6月下旬号

日本映画批評:お早よう

1959年6月上旬号

新映画評:お早よう

1959年5月下旬号

日本映画紹介:お早よう

1959年5月上旬号

新作グラビア:お早よう

2025/02/25

2025/02/25

-点

テレビ/無料放送/NHK BSプレミアム 


僕は今やルンペンだよ

テレビやら舗装されてない道路やら押し売りやら、当時の日本の時代背景がよくみてとれる。
小津監督は小難しいイメージだったが本作は分かりやすく作ったなという感想、お兄ちゃんが語り過ぎたきらいはあるが。
小津ファミリーの好演は良かったが、こういう映画は日本ではもう受けないだろうし、撮られないだろうな。

2025/02/06

2025/02/09

70点

その他/図書館 


屁でコミュニケーション

タイトルの「お早よう」は,子どもたちから見て大人同士の無意味な言葉の掛け合いを象徴する挨拶を意味する。
本作が製作された昭和34年は高度経済成長期に入った日本で家電の3種の神器と言われた洗濯機、テレビ、冷蔵庫が段々と普及してきた頃で、本作に登場する5家族の中でも買った家の話が出てくる。
また定年になった富沢(東野英治郎演じる)の再就職先が家電の販社らしい。
主人公の林家の父親が彼の再就職に対するはなむけとして子供らが欲しがっていたテレビを買ってやるエンディングは予想されたとはいえ、まだ近所の人情実のある世界だった。
反面、妻に自らの定年が近いことを指摘されてふさぎ込む父親(笠智衆演じる)の姿が感慨深い。
この時代は定年が恐らく55歳くらいではないかと推察するが、林家はまだ子供(次男)が小学校低学年でこの先大変(再就職は必須ではないか)だろうなと思われた。
そんな時代背景に郊外の平屋の戸建ての借家(似たような仕様なので恐らく)が立ち並ぶ家並みの5家族(特に小学生のいる4家族を中心とした)の隣近所の交流がコミカルに描かれる。
小学生らは帰って来ると相撲中継を見たさに親の目を盗んで、唯一子供のいないテレビのある丸山家に集まって来る。
丸山家は若い夫婦だけで若い妻は他の家からは白眼視されていて、出入りしないように子供たちに伝えてあるのだが言うことを聞かない。
若い夫婦はテレビを見に来る子供たちに鷹揚に接しているが、その親たちの陰口や付き合いにうんざりしているようで最後には長屋のような平屋群から引っ越すことになる。
本作ではこの4家族特に妻たちの町内会費の徴収のやりとりと行き違いから根拠のない陰口や疑心暗鬼がはびこる隣近所の付き合いの本音と建前のいやらしさ(特に杉村春子がうまい)がにじみ出てくる。
それに比べて子供たちの屁での挨拶の馬鹿らしさが可愛いく見えてしまう所が可笑しい。
特に屁をしようとして腹を壊している子が実を出してしまうギャグは小津の生身のセンスが伝わる。
物干し竿に何枚もの洗濯されたパンツが干された様子(洗濯機を買ったこともよくわかる)が可笑しい。
本作では子供から見た大人の無意味な挨拶への抵抗(テレビを買ってくれないことに対する抗議が本音)が、やがて大人になる子どもにも大人同士の建前と本音の萌芽を匂わせながら当時の子どもと大人、隣近所の付き合いといった生活の一断面をコミカルに描き出す
小津監督の奥行の深さを感じ取れる作品だった。

2024/12/02

75点

選択しない 


人間同士の付き合いを温かい目線で捉える

戦前の『生まれてはみたけれど』に通する子ども目線にによる大人社会への風刺が含まれている。妬みや嫉妬、偏見、疑心暗鬼などを持ちつつもお互いに「おはよう」など挨拶する事の欺瞞や無意味さを突いている。子どものおなら遊びなどの他愛無い下品さよりも罪深い下品さが滲む。挨拶を潤滑油として使うのは大人の知恵であろう。そういう人間同士の付き合いの難しさや暗部も、小津監督は温かい目線で捉え、ユーモアで包み、ホームドラマでとして描いているのだと思う。

2024/02/21

2024/02/22

85点

VOD/U-NEXT/レンタル/テレビ 


何度見ても面白い

久しぶりに鑑賞 うん、何度見ても面白い。
杉村春子のイヤな感じの奥さん、最高です

2024/01/09

2024/01/09

70点

選択しない 


戦後の日本が復興していく頃の日常、林家の兄弟が面白い(^^;;

テレビ、洗濯機、冷蔵庫の3種の電化製品が普及する直前くらいの頃はこんな感じだったのか。隣の家との距離が近く、近所付き合いも煩わしい、だからこそ天気や挨拶が大事なんだなぁ、ということを、兄弟が喋らなくなるという反抗運動を通してユーモラスに描きます(^^;;

会費を渡した渡さないで一悶着あったり、シビアな目線もあるのが小津節でしょうか(^^;;

2023/12/22

2023/12/22

70点

テレビ/無料放送/NHK BSプレミアム 


タンマによって解除されるもの

八丁畷の駅が見えている.多摩川のほとりなのだろうか.堤防のすぐ下には平屋で戸建ての集合住宅が見えている.家庭用のテレビで相撲中継が見られている.住宅は小箱のようで,テレビという小箱の中には小結やらの関取が動いている.住宅の隣や奥には同じサイズの住宅があり,どの家が誰の家なのか,どちらが裏で表なのか,表の玄関なのか裏口なのか,見ている者にも混乱が生じ,あるいは見られている人物も,例えば,富沢さん(東野英治郎)なども酩酊して,自らの帰るべき家を間違えてしまうほど,錯雑としている.かといって勇ちゃん(島津雅彦)が 「ラジオじゃ見えないよ」というのも然りで,聞くだけでなく,見ようとする欲望が画面にみなぎろうとしている.
「一億総白痴化」という言葉が踊り出す.婦人会の会費をめぐって,5名ほどの婦人らの不穏な争いが始まっている.原田きく江(杉村春子),その母で産婆のみつ江(三好栄子),大久保しげ(高橋とよ),富沢とよ子(長岡輝子), インテリとも噂される林民子(三宅邦子)らがそれぞれの邪推と牽制を始める.会計が集金し,組長へと届けられたとされる会費の行方を追って,「犯人は誰?」というサスペンスが仕組まれている.その光景は真相や悪者を見たがる観客の欲望の反映として映されている.
一方で,いくつもの「駄目」や禁止が大人たちによって,この一帯に張り巡らされる.子らはそれらを掻い潜って,テレビを観に集まり,「タンマ」によって制限を解除し,頭を小突かれれることでオナラをひり出す.この監獄的な規格の住居にある明(大泉滉) とみどり(泉京子)はテレビを所有しており,いくらか若い.そして,この何かを監禁しようとする魔圏からの脱出を試みている.
しかし,その外側にも高層の団地が築かれている. 英語を教えている福井(佐田啓二)とその姉(沢村貞子)がそこに住み,まだ主婦でもなく,少女でもない林家の節子(久我美子)はこの二つの地帯を往還している.外部からは,押売りの男(殿山泰司)が地帯に侵入を果たし,鉛筆,ゴム紐,歯ブラシ,亀の子たわしなどを売りつけようとするが,みつ江が出刃包丁を持って彼を撃退をする.他にも防犯ベルの男(佐竹明夫)も潜り込むが上手に売り抜けるというわけにもいかない.そうでなくても洗濯機だけでなく,ナショナルのテレビやフラフープの文物は集まってくる.サンマの干物と豚汁は美味しくともいつまでもそうした質素が続くわけもない.
教室に現れた伊藤先生(須賀不二夫)はどこか不気味で,悪魔的であり,教室や学校に新たな魔所を築こうとしているかにも見える.信心深いのか,お経をあげ,堤防で手を合わせるみつ江は,この魔圏の結界を強固にしようとしているのか,解除しようとしているのか定かではない.祭壇の前に座っている後ろ姿が映し出される.キャメラが彼女の正面に回ると彼女は独り言を言っている.彼女もまた何かから逃れようとしているのかもしれない.言葉を失った兄弟は,ジェスチャーゲームをしており,無駄な事も大事な事も無効にされようとする無音の世界に生き延びようとしている.
福井は唐突に,軽石の害毒によって死んだアシカの話をする.珍々軒の界隈もまた不思議で不穏な空気が漂っている.
土手を走ってかけ上がる,その先にも「いいお天気」が広がっている.上空の広がりは,地上の閉塞を余計に感じさせる.ただその大気と大地を媒介するようにして干してあるパンツがひらめいている.