画面の中に闇がある.その暗がりに消え,また暗がりから現れる男として茂兵衛(長谷川一夫)がいる.彼の声はどこまでも甘ったるい.それゆえか,おさん(香川京子)やおたま(南田洋子)という大経師の家にいる二人に好かれてしまう.そして彼と,彼女の道行が始まろうとしている.
茂兵衛は布団にもぐっていて,布団の中から映画に登場する.誕生するという感じもある.彼は赤子のように泣くかわりに咳をしている.その風邪も道行の途次でいつの間にか治っている.
それにしても画面の中断ぐらいを右往左往する,男たちの月代や禿頭が眩しくも感じられる.照明のせいなのだろうか.照明といえば,暗い室内を行燈がぼんやりと照らすことがある.画面の中央付近に当てられた照明がスポットライトのように人物を照らすこともある.障子から入る光も美しく,照明は白い建具に人影を浮かび上がらせる.襖には相当な絵が浮かび上がる.茂兵衛はこの大経師に暦を描く職人としていて,その腕も見込まれつつある.そうした矢先に逃げ出さなければならない.また,人物たちの背景に見えている植え込み,箪笥,石灯籠などにも格が感じられる.家の旦那様(進藤英太郎)はこの職と商いを大きくし,役人たちと結託して,手広く事業を広げようとしている.番頭の助右衛門(小沢栄) のずる賢さも役立っているのだろう.
その広がりの中で,おさんが後添えとして家に入り,お玉が奉公をしている.「おいえさま」と呼ばれている,おさんは実家の方が経済的に困窮してきている.実家は,岐阜屋という屋号で,兄の道喜(田中春男)と母のおこう(浪花千栄子)が切り盛りしているが,兄の気楽で得な人な振る舞いが家産を傾けているようにも見える.極楽と地獄についてこの母と息子は語り始める.
それにしても,奇妙な音が始終聞こえている.雑巾掛けの音が聞こえる.鼓や鉦の音や三味線の音も聞こえ,能か歌舞伎の舞台のようでもある.足袋の汚れが見えているが,それも不吉なのだろうか.茂兵衛は,白紙という光を十全に反射する面に,隠れて印判をつくところから転落を開始する.
磔にされる男と女が馬の背に乗せられていくのは,まさしくフラグと言える.彼は夜通しで仕上げいるので,寝坊をしてしまい,風邪をこじらせてしまうのかもしれない.「茂兵衛」と呼ぶ声が細くもあり,怖くもある.一旦は,屋根裏のような暗がりに幽閉されている茂兵衛であるが彼は逃げる.居たくない家として,おさんも逃げる.水面に二人の倒景が映っている.揺れる小舟の上に二人だけがいる.世界は二人だけの世界のようにも見える.その周りには闇が侵食している.場面替わりには溶暗も効果的に使われている.京からの離脱があり,伏見稲荷より先へ行ったことのなかったおさんであるが,琵琶湖へ,さらには嵯峨の奥へと道行く.二人が面白いのは,おさんの足を揉み,足を洗い,いよいよ足に噛み付く茂兵衛がいて,それでもおさんは「楽しい旅」などと口走っているところである.
初暦が売り出され正月のようなお祝いも終えており,栗売り(大崎四郎)や茶屋の婆(小松みどり)とも出会いながら,二人は,竹藪と格子の奥に見えている.茂兵衛の父の源兵衛(菅井一郎)が二人を匿いつつも,耐えきれずチクってしまう.磔へと向かう茂兵衛は町中で晒されているが,その晴れがましい顔が街の人に囁かれている.しかし,それほど晴れがましくも見えない.彼はただ,おさんを母の代理としつつ,闇の方へ帰還するのだろう.