仕掛けにいつのまにか巻き込まれ全く無理を感じさせない
ネタバレ
毎年、山賊に襲われ収穫物を取られる村の百姓が侍を雇って村を守ろうとする。
もう何も言うことができない名作。
今回見て、細かい出来事の一つ一つが後々に効いてくるというストーリーに改めて驚かされた。
たとえば…。百姓たちが落ち武者狩りで得た鎧(よろい)や槍(やり)の武具が出てきて、侍たちが怒り沈黙する。百姓出身の侍、菊千代が叫ぶ。「百姓ってのは無いと言ってるが米でも麦でも探せば何でも出てくる。ずるくて悪賢い。でも百姓をそんなふうにしたのはお前ら侍だ!」(趣旨を要約しています)。
これで侍たちは気を取り直すのだが、このセリフの「何でも出てくる」がずっとあとの場面、最終決戦の前夜の場面で効いてくる。
最終決戦を前にしばしの休みを得た百姓たちはいつの間にか宴会を始めている。侍たちのところにも酒を持ってくる。侍のリーダー勘兵衛が言う。「本当に何でもあるんだな」。
その勘兵衛が酒を持って行った先が、その日自分の身勝手で仲間を死なせてしまい意気消沈している菊千代、という具合で、今度は侍の代表が菊千代を慰め諭すかたちになる。
本作品にはこれに限らず、ぐるっと回って効いてくる、というのがあちこちに出てくる。
決戦前夜に結ばれるカップル、前髪(つまり元服前)の若い侍勝四郎と父親に髪を切られて男の姿にされた村娘志乃との恋は隠しごとであったが、父親が騒いで皆の知るところとなる。心配しすぎる父親は前半から語られているのだが、恋人たちの関係は翌朝の決戦直前まで効いてくる。硬い表情の百姓たちの前で勘兵衛が「勝四郎、今日は存分に働いてもらうぞ。何しろお前も昨日から一人前だ」と笑いを誘う。悲恋じみた彼らの恋は一気に皆が歓迎する恋に変わる。
本作品は、こういった仕掛けにいつのまにか見ているほうも巻き込まれ、話の展開に全く無理を感じさせない。
最近は“伏線回収”という言葉で諸作品を評する向きも多いが、優れた作品は伏線を伏線とも思わせない。そんなことを今さらながらに思った。
ところで本作品にはまだ無名だったのちのち日本代表する俳優がエキストラで一瞬出てくる。これは黒澤監督が自分ののちのちの作品に仕掛けた“伏線”だったのかな。