当時、「これは、いい!」と思ったまま記憶に刻まれていた作品。あらためて今見てみると確かに面白いのだが、当時何が心に触れたのか上手く説明出来ない作品。今も映画をただ見ただけではその核心を掴むことは難しい。
確実に言えることは初めて見る時と再見するのとでは全く意味の異なる作品だ。初めて見ればわれわれはガープの一生に付き合い喜怒哀楽、驚きを共にする。一方で再見すれば当然ガープの辿る運命はわかっているわけだからその生き方のどこに因果や応報が潜んでいたのかを探索的に見ることができる。これだけで作品の印象ががらりと変わる。その意味では、初見時にあれだけ印象に残った点はガープの数奇な短い生涯のショッキングさに相違ない。
原作となったアメリカの小説家ジョン・アーヴィングの作風も知らず、未読なままなので確証のあることは言えない。ただ、当時のアメリカ社会に渦巻く「欲望」を一つテーマに据えていることは確実だろう。そもそもガープの母親、グレン・クローズ演じるジェニー・フィールズからして、子どもは欲しいがセックスによる快楽は悪と捉えるのも一つの欲望の形。またガープの妻ヘレンは、不貞(因果)の末に思わぬ形で我が子を失う。これも一つの欲望の行き着く先(応報)。子どもの頃からガープを自分に振り向かせたい、それが叶わなければフェミニズムに走り、仕舞いにはガープの殺害に及ぶ幼馴染プーも歪んだ欲望を抱く一市民。これら「欲望」に翻弄される主人公、T.S.ガープをロビン・ウィリアムスが演じている。
唯一ジョン・リスゴーが演じた性転換をした元フットボール選手だけは欲望に忠実でありながら最後まで誠実さを失わない。あらゆる場面で社会的抑圧を一身に受けながらもガープ母子につくそうとする。誰にも迷惑をかけることなく欲望を貫く人生を名演して見せる姿が胸を打つ。付け加えるならばカリスマになりきれない息子第一のお母さん、グレン・クローズの好演も捨てがたい。