九州人吉・矢野組二代目のお竜(藤純子)は旧知の娘お君を探しながら渡世の旅を続けていた。
お君は幼い頃に患った眼病のせいで、一間先はほぼ見えない、年のころは十六だと、ある賭場で知り合った渡世人・青山(菅原文太)に告げる。
似た娘の噂を東京・浅草で聞いたと青山の言葉を頼りに、浅草に向かったお竜は、浅草六区を預かる鉄砲久(嵐寛寿郎)のもとに身を寄せることにした・・・
というところからはじまる物語で、その後、六区の興行利権を狙う鮫洲政(安部徹)一家との攻防に巻き込まれていく・・・と展開する。
義理と人情の任侠映画・・・というよりも、基本的にはアクション映画だろう。
アクションシーンを撮るために、静かなシーンに力を入れて、驚くような構図で撮っている。
雪降る橋上のシーンなど、奥行きを出すために、橋の欄干を画面の半分が占めるというような凝った構図である。
(穿った見方をすると、セットが狭く、奥行きがないのを、このような大胆なアングルで奥行きを出していると思われる)
また、番傘をさしたお竜・青山のショットも、画面右にふたりを置き、肩から上だけを撮り、空間を残す演出をしているが、これとても、セットを写さないことで、背景を際立たせているのだろう。
このように静的シーンに見どころが多いのだけれど、大人数のシーンでも、びっくりするような演出をとっている。
女スリだった娘(山岸映子)が実はお君だったことがわかるシーンは、鉄砲久の和室に十人ほどの人物を押し込め、お竜とお君の愁嘆場を際立たせるために、画面右中央手前にみかんをひたすら食べる女を配置している。
愁嘆場の背景を埋める大人数と、手前のみかん女。
やや演劇的な構図ではあるが、映画として観ると、やはり驚かされます。
アクションシーンもキレがあるのですが、それほど素早く動いているわけではない藤純子が、あたかも運動神経抜群のようにみえるのが、演出のキレというのでしょう。
(動いていないものを動いているように魅せる、それがアクション映画だ、というのが持論なのです)
ということで、ワンシーン、ワンシーンは素晴らしいのですが、それに対して脚本がぞろっぺえ。
いい加減といってもいいレベルで、眼病病みのスリ師とか、敵対勢力・鮫洲政の若い衆(長谷川明男)とお君を結婚させるのに父親なしでは可哀そうと鉄砲久がお君を養女にしたりとか、果ては予告なく現れて去っていくシルクハットの大親分(若山富三郎)とかはデタラメなレベルかもしれません。
(脚本は加藤泰と鈴木則文のコンビだが、こりゃメインは鈴木則文だな)
ということで、傑作というかケッサクというか評価は微妙です。