「風と共に去りぬ(後編)」・前編は傑作、後編は凡庸
2023年4月24日に鑑賞。DVDにて。1時間54分25秒(前編1時間37分32秒=全編3時間31分57秒→公開60周年版は、3時間54分[234分]である)。スタンダード・テクニカラー。SELZNICK INTERNATIONAL PICTURE=METRO-GOLDWYN-MAYER。
後編は、父親の死の1885年~1890年?が舞台です。
本作の秘密が分かった。前編は傑作、後編は凡庸である。前編はジョージ・キューカーが監督したのでしょう。後編の監督がヴィクター・フレミングでしょう。
★前編にあったカメラ技巧も全くない。『カメラアングルが工夫されている。地面に穴を掘ったかのようなローアングルの仰角撮影、中空からのクレーンの俯瞰移動撮影、ローアングルの仰角のズームとズームバックなど』が全くない。これは監督が交代したからでしょう。間違いない。画面を観たら全然、前編と後編は違う。
後編のラストの(1時間48分01秒)から、突然またカメラ技巧が使われる。メラニーの死の後、バトラーへの愛に気づいたスカーレットが「レット!どこにいるの?待って!」と外へ出て走る。ローアングルの仰角撮影。カメラがスカーレットを追って中空からの移動撮影。そしてカメラが2人にズームする。このラストのパートは体調を崩したヴィクター・フレミングに代わってサム・ウッドが撮影したのでしょう。
ラスト、バトラーに去られたスカーレットに父親の言葉「本気かね?タラの土地が無意味だと?この世で頼りになる唯一のものが土地だ」バトラー「僕より愛しているものが君にはある。タラだ。タラのこの赤い土地がお前の支えなんだ」父親とバトラーの声が繰り返す。
スカーレット「タラ!故郷よ!彼を連れ戻す方法は、故郷に帰って考えるわ。明日に望みを託して」→★スカーレットはバトラーを諦めた訳ではないのだ!続編を作る気なんですね。
そして、奥にオハラ家の邸宅、手前に巨木、夕焼けの中、スカーレットが立ち上がる。★これは、前編のラストと同じ映像を使っている。
今となっては、南部の特権階級意識や黒人奴隷や貧乏白人への差別などが散見される。アシュリー「オークス屋敷の園遊会を思い出すよ。君は大勢の男性に囲まれて・・・」スカーレット「あの私はもいない。思いは何も叶わなかった」アシュリー「懐かしいな。静かな農園の夕暮れ、★黒人の平和な笑い声、黄金色の安らぎに身を任せて・・・」スカーレット「振り返ってはいけないわ」
「風と共に去りぬ」は、前編は傑作、後編は凡庸です。
父ジェラルド・オハラの墓碑銘『Gerald O'Hara Born in county Wicklow Ireland June 2. 1801 Died Nov. 14 1885』
メラニーが読む本『デヴィッド・カパフィールドの生涯』