風と共に去りぬ
アカデミー賞の10部門で受賞し、かつて、毎日、世界のどこかで上映されていると言われ、インフレ換算するといまだに興行収入歴代1位の映画史に残る作品。加えて、映画狂を自称する自分でありながら、ヒロインのスカーレットに対するアレルギーがあって長らく敬遠してきた。そして、ようやく重い腰を上げた。かつて、戦時中、外地で本作をみた小津安二郎がこのような作品を作るアメリカと戦争しても勝てるはずがないといったように、1933年製作作品でありながら、テクニカラーによる画は、絵画をみているように美しく、アトランタの大火災や夥しい数の戦傷者のモブシーンなど、CGなどない映画黄金期ならではの実物によるスケール感は圧倒的である。映画の構成も、前半は南北戦争のスペクタクルから、後半は敗戦からの再生・復活の快感ともに、ドロドロとしたメロドラマとヒットする要因を備えている。
しかし、予想した通り、スカーレットの自己中、身勝手さにあきれて笑いが出る位で、どうにも受け入れがたい。自分の美貌に圧倒的な自信を持ち、すべての男は自分に特別な好意を持つと思い込む。また、目的のためには手段を選ばない。逆に言うと、原作者のマーガレット・ミッチェルの生きた20世紀当初、女性解放など影も形もない時代において、これだけ自己主張の強いヒロイン像を作り出したことは画期的だったと思う。確かに、次々に襲いかかる苦難に「明日になれば」と立ち向かい、愛についても自分の気持ちを押し通す女性像は、それが現実には許されない時代においては、理想だったし魅力的だったと思う。ただ、都合の良い時に、男を利用したりするのは、強さよりもズルさにみてしまうし、愛してくれる相手のことを考えない自己愛の強さはやはり共感できない。実は、スカーレットを演じたヴィヴィアン・リーは、当時の恋人ローレンス・オリビエに会いたいがために、早く撮影が終わる様にせかしていたらしい。まさにスカーレットそのもので、その意味で、まさに唯一無二存在で、この人なしには本作はできなかったと思う。
一方で、北軍と南軍の間をしたたかに立ち回り、形式・因習にこだわらないレッドバトラーについては、クラーク・ゲイブルという最高のキャスティングを得て、魅力たっぷりのヒーローになっている。ただし、考えてみれば、バトラーとスカーレットは因習にこだわらない自由な生き方をするという意味では、同種の人間であり、それを女性なら認めず、男性なら許容するというのは、僕もいささか「男性至上主義」に毒されているもしれない。加えて、スカーレットを相反する常に他者のことを思いやる天使のようなメラニーは、男目線が作り上げた都合の良いキャラなのかもしれない。
いろいろと批判めいたことを書いたが、戦争を舞台にした大叙事詩のスケール感だけでなく、物語の展開も3時間42分という長尺を感じさせない面白さで、映画史上に残る作品であることは認める。