冒頭、美しい山々と自然の映像に重なるように静かな音楽とテロップが流れ、ラストでは、沈みゆく太陽を背に、チーフが森へと去っていく。
今振り返ると、この映画を初めて観たのは中学生の頃だった。当時の自分がどんな思いでこの作品を受け止めていたのか、今となっては記憶が曖昧だ。ただひとつ言えるのは、この映画が持つ鋭いテーマと生々しさは、現代のテレビ放送ではおそらく実現不可能なほど強烈だということ。製作を担ったマイケル・ダグラス、そして監督ミロス・フォアマンの覚悟と勇気がなければ、生まれ得なかった作品である。
これは間違いなく、アメリカン・ニューシネマを代表する傑作の一つ。「暴力脱獄」などと同様、枠に収まらない自由を求めるムーブメントに連なる作品だ。(ちなみに町山智浩氏によれば、この流れを断ち切ったのが『ジョーズ』『ロッキー』『スター・ウォーズ』だったという。)
あらためて観ると、俳優たちの演技の素晴らしさに息を呑む。
マクマーフィが患者たちをバスに乗せて釣りに出かけるシーン。女友だちに “Are you crazy?” と聞かれて素直にうなずく場面。クルーズを盗み、それぞれを「博士」と紹介するくだり。彼らは実際、そう見えてくる。
そう、この作品は観る者の姿を映し出す「鏡」なのだ。精神病院という閉鎖空間の中で、目をそむけたくなるような存在に思える患者たち。しかし、マクマーフィは一人ひとりに光を当て、その個性を引き出していく。
登場人物の誰かに、かつての、あるいは今の自分を重ねることはできないか。そう問いかけてくる映画だ。
キャストも豪華だ。若きダニー・デヴィート、そして『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の“ドク”ことクリストファー・ロイドなど、後に名優となる面々が顔をそろえる。観ているうちに、彼らがまるで自分の友人のように思えてくる。
看護師長を演じるルイーズ・フレッチャーの演技も圧巻だ。冷静さと威圧感を併せ持ち、決して揺るがない。その彼女にマクマーフィが友人の死を機に怒りを爆発させ、首を絞めるシーン。あの凄まじい演技、もはや演技を超えていたのではないかと思うほどだった。
マクマーフィには持ち上げられなかった重い水栓を、チーフが持ち上げて脱走するラスト。水が湧き出すその瞬間は、まるで聖水のように感じられた。手術で意識を失ったマクマーフィに「一緒に行こう」と語りかけ、枕で彼を解放するチーフ。その手に伝わったのは、絶望か希望か。去りゆく彼の背中には、複雑な未来が重なって見えた。
社会が混迷するいまこそ、この映画の原点に立ち返るべきではないか――
そんな思いが、胸を強く打つ。