冬の旅

ふゆのたび|Sans toit ni loi|----

冬の旅

レビューの数

19

平均評点

75.9(86人)

観たひと

134

観たいひと

17

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル ドラマ
製作国 フランス
製作年 1985
公開年月日 1991/11/2
上映時間 106分
製作会社 シネ・タマリス=フィルムA2
配給 フランス映画社
レイティング
カラー カラー/スタンダード
アスペクト比 スタンダード(1:1.37)
上映フォーマット
メディアタイプ
音声

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

南仏の路傍にさすらいの末に倒れて死んだ18歳の少女の孤独な道行が目撃者の証言を通じて描かれる「アニエス・Vによるジェーン・b」のアニエス・ヴァルダの監督・脚本作。撮影に「女の復讐」のパトリック・ブロシェ、音楽はジョアンナ・ブルドヴィッチがあたった。出演はサンドリーヌ・ボネール、マーシャ・メリルほか。

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

冬枯れの南仏の野原。行き倒れの一人の少女。その身許を語るものは何もなかった。ただ彼女がその孤独な旅の途中で出会った人々の記憶の中を除いては……。彼女の名はモナ(サンドリーヌ・ボネール)、18歳。寝袋とテントを担いでヒッチハイクをしながらのあてどのない旅。時折、知り合った若者と宿を共にしたり、農場にしばらく棲みついたりすることはあったものの、所詮行きずりの人々にモナがその内面を垣間見せることは滅多になく、またいずこともなく消えてゆくのが習いだった。ある時、プラタナスの病気を研究している女性教授ランディエ(マーシャ・メリル)がモナのことを拾う。ぽつりぽつりと自らのことを語るモナ。ランディエも彼女に憐れみを覚えるが、結局どうすることもできず、食料を与えて置き去りにする。モナは森の中で浮浪者に犯された。またしても放浪の旅を続けるモナはついにはテムの街で浮浪者のロベールたちと知り合い、すっかりすさんだ様子になってしまった。そしてそこへ、前にモナと空き家の別荘で暮らしていたユダヤ人青年ダヴィッド(パトリック・レプシンスキ)がやってきて、マリファナの取引きのことでロベールといさかいになってモナの住んでいたアジトは火に包まれてしまう。すっかり薄汚れて再び路上に戻ったモナはパンを求めて近くの村に赴くが、今しもそこはブドウ酒の澱かけ祭のさなか。何も知らないモナは彼女に澱をかけようとする屈強の男たちに追われ、恐怖に顔をひきつらせ、そのまま力尽きて路傍に倒れ込む。

キネマ旬報の記事 ▼ もっと見る▲ 閉じる

1992年3月上旬号

外国映画紹介:冬の旅

1991年11月下旬号

グラビア《Coming Attractions》(新作紹介):冬の旅

1991年11月上旬号

KINEJUN CRITIQUE:冬の旅

2024/08/17

2024/08/17

65点

テレビ/有料放送/スターチャンネル 
字幕


こういうのは自由って言うんでしょうか

冒頭が死体発見シーンなので、観客は結論を予め知った上で本編に付き合うことになります。

物語は彼女が行旅中に出会った多くのひとの証言で構成されており、そんなにびっくりするようなことは起きません。
若い女性のヒッチハイカーに起きそうなことが起きて、食事や金銭、起居する場所、盗難、寒さなど、苦労しそうなところで苦労します。

自由で羨ましい、という描かれ方はしていないし、ヴァルダはどういうメッセージを込めたかったのだろう??

自由に生きるにはもっと飛距離のある行動が必要だったように思いました。普通な行動をするから普通な結果になってしまうわけで。寂しいけど。

エンドロールにLes Rita Mitsoukoの名前があって懐かしかったです。

2024/05/16

2024/05/16

80点

VOD/U-NEXT/レンタル/タブレット 
字幕


自ら選んだ自由な旅とは言え、その代償は余りに傷ましい

社会に馴染むことを拒み、リュック一つで当てのない旅をするモナ。金も無く、時にはちょっとした仕事で食べるぐらいの小銭を得る、その日暮らし。アニエス・ヴァルダ監督がモナに与えた束の間の運命。過酷なだけに残酷だが、モナの姿を通じて当時の女性の姿を象徴したのかもしれない。

2024/05/06

50点

選択しない 


「あっしには関わりのねえことで」と楊枝を咥えて立ち去る

 原題"Sans toit ni loi"で、屋根も法もなくの意。
 モナというヒッピーの娘の死体が発見されるところから物語は始まる。彼女が村に現れたのは数週間前で、彼女と関わった人々の証言から、彼女が村祭りで酔っぱらって凍死するまでの行動を綴るという形式。
 モナ(サンドリーヌ・ボネール)は18歳。ヒッチハイクをし、簡易テントで野宿し放浪するという屋根も法もない自由人。
 彼女の信条は楽して生きることで、時に気儘なアルバイトで食費を稼ぎ、時に施しを受けて放浪を続ける。そんな彼女を自由だと思う娘もいれば、元学生運動活動家の農夫は自由とは孤独に生きることだと諭す。
 そんな忠告も馬の耳に念仏で、不良グループに加わり、生活も心も荒んで力尽きる。
 1980年代にはヒッピー文化も廃れていて、モナの楽して生きるという信条はそれとも違うが、浮浪者ともホームレスとも放浪者、風来坊、フーテンとも言い難く、単に放埓なだけの怠け者でしかない。
 彼女が自由を求めていたというのも穿った見方で、自由とは何かという問いがこの作品にあるようにも思えない。
 ただ孤独であったことは確かで、彼女が自由な生き方を求めていたとすれば、それは空想ないしは幻想でしかなく、人生、世の中はそんなに甘くはないとお説教するだけの作品に終わっていて、「あっしには関わりのねえことで」と真に自由人の木枯し紋次郎なら楊枝を咥えて立ち去る。

2023/03/16

2023/03/18

30点

映画館/東京都/目黒シネマ 


主人公に魅力が感じられない

人気のない冬の避暑地で発見された10代の女。
旅していたときの映像や彼女への証言を基に、カメラは死ぬまでの女の軌跡を探っていく。虚構とドキュメンタリーが混じり合うような作り。
主人公の女は監督の自画像なのだろうか。申し訳ないがまったく魅力が感じられない。自由を求めるのはいいが、可愛げなく、ピッピーのような人たちとつるむようになり、孤独のまま死んでゆく。悲哀も同情もなにも湧き上がらなかった。

2023/01/13

2023/03/03

70点

映画館/沖縄県/桜坂劇場ホール 
字幕


女はつらいよ、男もだけど

パンフレットにはアニエス・ヴァルダ監督のコメントがある。
「自分には理解できない女性、ある種、怒りに満ちた感情をもって描きたかった」

監督自身がこのヒロインに共感していないのか。それならなぜこの映画を演出したのか。「ある種、怒りに満ちた感情を持って描きたかった」とは何に怒りがあるのか。

ヒロインは冒頭のナレーションでは「モナ(ヒロインの名前)が海から来たように思える」と表現している。何か実体がない象徴のような人物なのだろうか。

モナは何ものにも縛られない自由な生き方をしたいという。それが社会や人間関係の縛りに対する反抗とかいったようなものではない。「楽がしたいから」という子供じみたなんというか思春期のこじらせかい、と思った。だが、そういう考えは女性ばかりでなく、男性でも誰でもふと思うことがあるだろう。私などはなんのしがらみのない車寅次郎をバカだな~と思いつつ、そういう風に生きていけたらいいな、という羨望も感じる。

そんな楽して生きたいからと言って、労働も拒否して誰かの家に泊まらせてもらう生活なんてできない。金を稼がなきゃ生活はできない。まったく他人と接触しないで生きるなんてできないし、そうしたいなら人里離れて山奥に引っ込むしかない。そうして生きるサバイバルなんてモナにはできないだろう。そうなると妥協して他人との中で働くしかないが、それも嫌というのならこれは単なるわがままとしか思えないし、そんなことではまあどこかで死亡するのは分かり切ったことだ。したがってモナの末路は冒頭で描かれる。彼女は結局死亡する。まったく自由に生きるということは末路はこうなるということはモナは本望でないだろうし、それを想像なんかしていないだろう。それではモナは考えが甘かったのだろうか。

なにか頑なに自由に生きることに執着するのは、ひょっとして人生に絶望してしまったからなのだろうか。何があったのかは説明していないし、ヴァルダ監督も彼女は理解できないとしているから、こちらで彼女の絶望を想像するしかない。

例えば男性と一緒になる、付き合うということでは、男性は女性に自分に尽くしてくれることを望むのだろうし、そのためには自分の時間を相手の男性のために使うことであるから、それはいくら愛している男性のことだからと犠牲にできないことなんだろうと思った。

このモナの旅で出会った男性を見ると、彼らは自分の理想の女性像を求めているようである。男性の哲学者もモナと同様に何ものにも縛られない自由を求めていたと思う。だが現実には何か仕事をして金を稼がなきゃ生活はできないことはよく分かっている。だからモナにも彼女のためにとは思って説教するのだが、言葉の端々には女は男の庇護のもとに、彼に尽くせという男の女への理想がうかがい知れる。

対してモナが出会う女性たちは、こんなことは現実にはできないが、女性に対する男の縛りにはうんざりしていて、そんな呪縛とはまるで関係なく生きようとするヒロインはうらやましいと思っているに違いない。

この映画の製作は1985年。フランスでもこの時代は男尊女卑が強かったのだろう。外国人の私から観れば、フランス女性は自由に生きているものだと思ってしまうのだが、現実には違うのだろう。
ヴァルダ監督の「ある種の怒りの感情に満ちた」というのはこの男性優位の社会に対するものではないか、と思うのである。

2023/02/25

2023/03/02

84点

映画館/茨城県/あまや座 
字幕


モナを生み出すもの

ネタバレ

ホームレスの若い女性が彷徨の果てに凍死するまでの、彼女の冬の旅を描く。
アニエス・ヴァルダ監督作品。原題は、「屋根もなく、法もなく」というような意味。

冬の朝、田舎の畑の窪地で若い女性の死体が見つかる。身一つで凍死したらしい。
そんな女性の、死までの姿が描かれる。海岸で水浴していた彼女を、海からきたようだとナレーションが伝えるが、彼女の生い立ちは何も語られない。

究極の個人主義とも思える女性、モナ。だが、自由人というにはそぐわない。
とても享楽志向の持ち主であり、楽をして過ごしたいとうそぶき、放牧家の男性から愛想をつかされたりする。
だが、プラタナスの保護を行っている植物学者の女性に気に入られる。彼女はモナと別れたことを後悔して、部下の技師に探すように依頼もする。

そんな彼女と遭遇した人々のコメントをカメラが拾いあげ、色んな意見が語られる。それは、彼女の多面性というよりも、語る側の人間性なのだろう。
世の中を写すかのような鏡だった。そういう女性の死を描いた。
それは、ヴァルダ監督の意図でもある。彼女にもモナの生い立ちも思考も、内面は「わからない」のだ。

だからこそ、この尖りきった少女を輩出することのない世界をつくることが、この映画を見て思うことである。
アニエス・ヴァルダの思いもそこにあるのだろう。

だが、40年近く経て、この世界はいっそう不寛容となっている。だから、いまもモナは生み出され続けている。
ヴァルダはどう思うだろう。