「自分のすることを愛せ。子供の頃、映写室を愛したように」
午前十時の映画祭15
我が生涯第4位。物量のせいか、我が生涯ランキングは上位10作がほとんどハリウッドで占められているが、その中で唯一ハリウッド外の作品としてランクインしている。
今から20年前、移動教室から帰宅して、TVを点けたらたまたま放送されていたのでそのまま観たのが最初の接点。途中からだったが、あの感動的なラストシーンに胸を打たれて即DVD購入を決意する。だがここでややこしい問題に直面した。ジュゼッペ・トルナトーレ監督作品のソフトパッケージは、必ずと言っていいほど2通り用意されている。通常版と完全版である。妙に完璧主義の気性がある自分は、このとき完全版を購入した。
以来、どの映画作品でも通常版と完全版がある場合には完全版を選択するようにしているのだが、本作に関しては通常版の方が良かったかもしれないと今回の鑑賞で感じた(今回は通常版を上映)。もちろん、物語の裏まで語られているのが完全版であるが、はっきり言って「知らなくていいこと/知らない方がいいこと」が多いのである。同監督の「海の上のピアニスト」は完全版の方が良いが、本作は通常版の分かりやすさを優先したい。
かなり久しぶりに観たが、自分の中で発酵が進み過ぎてイメージ先行になっているような気がする。好きな作品のはずなのにタイトルバックのシーンが上映開始まで思い出せなかった。何と言うか、「なんでも博士」というよりも、どこまでが骨でどこからが肉なのかすらもう意識できていない。それくらい自分にとっては同化した作品で、恥ずかしいやら「こういうのもありかな」とも思ったりと色々複雑な心境である。全てを忘れても、パラダイス座の映写室という小宇宙だけが残ればそれでいい。あそこには全てがあった。喜び、悲しみ、そして愛。
映画色の街、美しい日々が切れ切れに映る、そんな時代は過去形となった。メディアの多様化によって映画館は数を減らしつつある。映画そのものも配信で観ることが多くなった。映画はもう夢でしかないのか。夢で結構、少なくともワシの目の黒いうちは夢見心地で居させてほしい。
シネマよ、今度の新作は何だい?
シネマよ、今でも誰かが愛していることを忘れないでくれよ。