「ボルジア家30年の圧政はダ・ヴィンチやミケランジェロを産み出した。ではスイス500年の民主主義は何を産んだ?鳩時計さ」
第二次大戦後間もないウィーンは米・英・仏・ソの4カ国に分割統治されている。三流作家ホリー(演:ジョセフ・コットン)は、親友ハリー・ライム(演:オーソン・ウェルズ)から仕事を斡旋されてウィーンに招かれるが、着いた途端にハリーが車に轢かれて死んだことを伝えられる。不慮の事故死であり、事故後ハリーは友人二人に運ばれたという。だが即死なのか息があったのかが目撃者ごとに違っており、納得がいかないホリーは独自に事故を調べ始める。するとハリーの遺体は三人の男に運ばれたことが判明する。「第三の男」は何者なのか?
グレアム・グリーンが映画製作のために小説を書き下ろし、キャロル・リード監督が映像化したのが本作である。オーストリアの民族楽器ツィターを用いたアントン・カラスによるテーマ曲はあまりにも有名で、日本では言わずもがな、某ビール会社のCM曲として名高い(またはJR山手線・恵比寿駅の発着音か)。映像としても、部屋の窓から漏れた灯りで暗闇の中に突然浮かび上がるオーソン・ウェルズの顔など、映画史上の名シーンが多い。
グレアム・グリーンの原作小説を読んだのは15歳の秋、ざっと20年近く前のことである。だからストーリーは知っていたが、食わず嫌いやら後回しやらタイミングの悪さやらが重なった結果今日まで観てこなかった。にも関わらずその間に"聖地巡礼"は済ませてきた。物語としては戦後間もないウィーンという状況でしか成立し得ないが、テーマそのものは鮮度を失わない。これ、よくよく考えたら"闇バイト"の話だわ。となると、またいつものように開き直るが、むしろこのタイミングまで温存したのは大正解だったのではないか。
原作の後書きにあった裏話をひとつ。ジョセフ・コットン演じるホリーの役名は原作ではロロである。名前の変更の理由は"同性愛っぽいから"というものだが、そうなると実はホリーは表では「親友」と言いながらも本当のところは...となる気がする。ハリーにはウィーンの舞台女優アンナ(演:アリダ・ヴァリ)という恋人がいるが、実際はトライアングラーと見るべきだろう。で、商業的には折れたもののグリーンの意図を汲みとったリード監督は最後に大博打を打った。結末を変えたのである。原作では全く違う結末で物語が終わるが、グリーン曰く「キャロル・リードの勝利」だったらしいし、観る側も「まあ、そうだろうな」と思わせる。しかもその結末を全く非の打ち所がない画角と演出で撮り切るのだから、キャロル・リードという男は本当に憎らしい。
斜に構えたカットイン、モノクロを最大限に活かすために影を使用した表現...古典は今もなお色褪せない。