タルコフスキー監督作、続けて4本観たが、結局私には理解できそうもない。それは日本人には分からない、信仰の問題もあるだろう。作品を通して感じられるのは、祈り、犠牲、そして家族に対する愛情と、守りたいという切なる気持ちだ。あれ?これは私なりに理解できたということ?矛盾しているかも知れないが、それでも描かれている数々の描写には、手を焼いてしまう。『惑星ソラリス』『ストーカー』『ノスタルジア』『サクリファイス』何れの作品でも共通となるイメージがある。それはやはり水。廃屋や家の中にまで降り注ぐ雨、水浸しの地面、海や川、池、水たまり…、本作には温泉も。登場人物たちは、皆水浸しになる。水と対を成すような、火。今回は蝋燭の火であったり、ある人物を包む炎だ。
そして、鏡。映し出すものは、己の本性か。更に浮遊する人間。モノクロとカラーの共存。本作では、カラーパートも色が極力抑えられているようで、時にその境目が曖昧に感じられた。更に顕著なのは、耐え難いまでの長回し。何故ここまで拘るのか。意味は分かっても、意図が分からない。説明は一切しないので、しばらく登場人物たちの、人間関係も分からない。
本作では、ロシア人作家のアンドレイと、同行の女性・エウジェニアの関係が分からなかった。どうやら通訳らしいが、それだけではなさそうな雰囲気が、彼女にはある。モノクロで出てくる人物たちは、アンドレイが国に残してきた家族だろう。彼らは今、取材でイタリアに来ている。そこでドメニコという男と知り会い、彼の言動がアンドレイの心に、何らかの影響を及ぼしたようだ。
ドメニコは世界の終末を恐れ、家族を7年間も家から出さず、変人扱いされていた。彼の家に書かれた式は、何を言いたいのか。終盤の演説も、何を言いたかったのか、私には理解不能。いや、タルコフスキー作品すべての登場人物たちの独白も、私には読経のように耳を通過していくだけだ。
タルコフスキー作品と較べれば、もしかして、アンゲロプロスやフェリーニの方が、まだ分かり易いのではと思ってしまった。では、何れ、両監督作品にもチャレンジするとしよう。
1984年キネマ旬報ベストテン第8位。