恐怖映画でも、ヒューマニズム映画でもない。リンチのフリークスへの偏愛映画だ。
ネタバレ
エレファント・マン
1980年作品で、鬼才デヴィッド・リンチ監督作品でありながら、公開当時のテレビスポットで、頭巾が剥ぎ取られるシーンを強調し、「隠されたエレファント・マンの顔はどんなものか」という恐怖映画的な売り方がされ、「奇形」というテーマ性に見るのを躊躇してきた。見てみると、ジョン・メリックの顔は意外に早く明らかにされる。また、「人は外見で差別してはならない」といった文科省推薦的なヒューマニズム映画としての評価もあったとは思うが、実は、デヴィッド・リンチのフリークス(奇形)への偏愛であることは、後の彼のフィルモグラフィからみても明らかであり、どちらのレッテルも外れている。ただし、ジョンの過酷な生涯を想像するに、彼が内面に、心優しさ、知性を持っていることもあって、自然に涙がこぼれてきたのは事実だ。
それにしても、こうしたフリークス映画をほぼ新人監督であったリンチに撮らせたプロデューサー、メル・ブルックスと彼の愛妻のアンバン・クロフト(出演もしている)の貢献には心打たれる。
今回、4Kリマスター版で見ることができたこともあって、モノクロによる19世紀の産業革命期のイギリスの暗く淀んだ町並みの美術が素晴らしい。特に、工場シーンの描写については、エイデンシュタインのような古典的な映画作品を思い起こした。
ストーリーの展開で、ジョンを見世物小屋から救った医師トリーヴス(若き日のアンソニー・ホプキンス)が看護婦長からの批判を受け、「好奇の眼にさらしていることは自分も変わらないのではないか」と悩む姿に共感した。ただし、泉谷しげるが被災地に支援に回った際に、「売名行為だ」と開き直ったように、偽善であれ、売名であれ、行動することで少しでも助けになるのであれば、まったく問題にはならないと思う。事実、ジョンは、夢のような舞台を見ることができ、至福の時を過ごすことができたのだから。
ラスト、ジョンは、敢えて、常人のような姿勢で寝ることにより、気管支を塞ぎ、死に至ったのではないかと思うが、彼の至福の時は永遠で、終わりがないと思う。