エレファント・マン(1980)

えれふぁんとまん|The Elephant Man|The Elephant Man

エレファント・マン(1980)

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レビューの数

79

平均評点

76.0(601人)

観たひと

1077

観たいひと

94

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

ジャンル ドラマ
製作国 イギリス アメリカ
製作年 1980
公開年月日 1981/5/9
上映時間 124分
製作会社 ブルックス・フィルムズ・プロ
配給 東宝東和
レイティング 一般映画
カラー モノクロ/シネスコ
アスペクト比 シネマ・スコープ(1:2.35)
上映フォーマット 35mm
メディアタイプ フィルム
音声 ドルビー

スタッフ ▼ もっと見る▲ 閉じる

キャスト ▼ もっと見る▲ 閉じる

解説 ▼ もっと見る▲ 閉じる

19世紀末のロンドンを舞台に、生まれながらの奇型ゆえ“エレファント・マン”と呼ばれ人間扱いされなかった実在の人物ジョン・ノリックの数奇な運命と彼をとりまく人間たちとの触れ合いを描く。製作はジョナサン・サンガー、監督は「イレーザーヘッド」に続きこれが二作目のデイヴィッド・リンチ、脚本はクリストファー・デ・ボア、エリック・バーグレンとデイヴィッド・リンチ、撮影はフレディ・フランシス、首楽はジョン・モリス、編集はアン・V・コーツ、製作デザインはスチュアート・クレイグ、衣裳はパトリシア・ノリスが各各担当。出演はジョン・ハート、アンソニー・ホプキンス、アン・バンクロフト、サー・ジョン・ギールグッド、デーム・ウェンディ・ヒラー、フレディ・ジョーンズ、ハンナ・ゴードンなど。2020年7月10日エレファント・マン 4K修復版公開(配給:アンプラグド)

あらすじ ▼ もっと見る▲ 閉じる

19世紀末のロンドン。ロンドン病院の外科医フレデリック・トリーブス(A・ホプキンス)は、見世物小屋で、“エレファント・マン”〈象人間〉と呼ばれる奇型な人間を見て興味をおぼえた。ジョン・メリック(ジョン・ハート)という名をもつこの男を、フレデリックは、研究したいという理由で持ち主のバイツ(フレディ・ジョーンズ)からゆずり受ける。学会の研究発表では、トリーブスは大きな反響をえるが、快復の見込みは皆無だった。21歳と推定されるメリックは右腕がきかず、歩行も困難、言葉もはっきり発音できないという状態だった。院長カー・ゴム(サー・ジョン・ギールグッド)は、他の病院に移させることをトリーブスに告げるが、メリックとの面会で、彼が聖書を読み、詩を暗誦するのを聞いて感動し、病院に留まるようにと考えを変える。トリーブス夫婦に招かれて彼らの家を訪れたメリックは、トリーブス夫人(ハンナ・ゴードン)が美しく、メリックをやさしく扱ってくれることに感激し、涙を流しながら、誰にも見せたことのない美しい母親の写真を見せた。タイム誌に、メリックのことが報じられ、一躍有名人になった彼は、興昧を抱いた様々な人々の訪問を受ける。舞台の名女優ケンドール夫人(アン・バンクロフト)も、その一人だった。“商売品”を騙し取られたと、反感を持っていたバイツは、秘かにメリックを連れ出しヨーロッパヘ向かった。再び動物のような扱いを受け、容態の悪化したメリックは瀕死のところを見世物小屋の仲間に救われ、やっとロンドンにたどりつく。しかし、人々の好奇な目につきまとわれ、ついに“私は人間だ、動物じゃない”と叫ぶメリック。やっと、トリーブスのもとに戻れた彼は、ケンドール夫人の好意で観劇のひと時を過ごす。感激の時を過ごし部屋に戻ったメリックは、かねてより作り続けていた、窓から見える寺院の模型を完成させ、そこに自分の名を書き込んだ。そして、いつもの寝方であるうずくまって寝る姿をやめ、その夜は、人間たちがやるように仰向けになって眠りにつくのだった。それは安らぎに満ちたメリックの最後の姿であった。

キネマ旬報の記事 ▼ もっと見る▲ 閉じる

2025年3月号

巻頭特集 追悼 デイヴィッド・リンチ いくつかの白昼夢をのこして:フィルモグラフィー|「イレイザーヘッド」「エレファント・マン」

2023年7月上・下旬合併号

1981年、みんなここから始まった:1981年の話題作 「エレファント・マン」

1981年、みんなここから始まった:コラム 「エレファント・マン」と東宝東和

1981年7月上旬号

外国映画紹介:エレファント・マン

1981年6月下旬号

外国映画批評:エレファント・マン

1981年5月上旬号

グラビア:エレファント・マン

特集 「エレファント・マン」:社会的背景

特集 「エレファント・マン」:「エレファント・マン」との出逢い

特集 「エレファント・マン」:海外論評

特集 「エレファント・マン」:デヴィッド・リンチ監督インタビュー

特集 「エレファント・マン」:プロダクション・ノーツ

特集 「エレファント・マン」:分析採録

1981年4月上旬号

キネ旬試写室:エレファント・マン

2025/11/04

2025/11/07

88点

テレビ/無料放送/NHK 


恐怖映画でも、ヒューマニズム映画でもない。リンチのフリークスへの偏愛映画だ。

ネタバレ

エレファント・マン
 1980年作品で、鬼才デヴィッド・リンチ監督作品でありながら、公開当時のテレビスポットで、頭巾が剥ぎ取られるシーンを強調し、「隠されたエレファント・マンの顔はどんなものか」という恐怖映画的な売り方がされ、「奇形」というテーマ性に見るのを躊躇してきた。見てみると、ジョン・メリックの顔は意外に早く明らかにされる。また、「人は外見で差別してはならない」といった文科省推薦的なヒューマニズム映画としての評価もあったとは思うが、実は、デヴィッド・リンチのフリークス(奇形)への偏愛であることは、後の彼のフィルモグラフィからみても明らかであり、どちらのレッテルも外れている。ただし、ジョンの過酷な生涯を想像するに、彼が内面に、心優しさ、知性を持っていることもあって、自然に涙がこぼれてきたのは事実だ。
 それにしても、こうしたフリークス映画をほぼ新人監督であったリンチに撮らせたプロデューサー、メル・ブルックスと彼の愛妻のアンバン・クロフト(出演もしている)の貢献には心打たれる。
 今回、4Kリマスター版で見ることができたこともあって、モノクロによる19世紀の産業革命期のイギリスの暗く淀んだ町並みの美術が素晴らしい。特に、工場シーンの描写については、エイデンシュタインのような古典的な映画作品を思い起こした。
 ストーリーの展開で、ジョンを見世物小屋から救った医師トリーヴス(若き日のアンソニー・ホプキンス)が看護婦長からの批判を受け、「好奇の眼にさらしていることは自分も変わらないのではないか」と悩む姿に共感した。ただし、泉谷しげるが被災地に支援に回った際に、「売名行為だ」と開き直ったように、偽善であれ、売名であれ、行動することで少しでも助けになるのであれば、まったく問題にはならないと思う。事実、ジョンは、夢のような舞台を見ることができ、至福の時を過ごすことができたのだから。
 ラスト、ジョンは、敢えて、常人のような姿勢で寝ることにより、気管支を塞ぎ、死に至ったのではないかと思うが、彼の至福の時は永遠で、終わりがないと思う。

2025/11/01

2025/11/02

82点

テレビ/無料放送/NHK BSプレミアム 
字幕


ピュアな心に感動

 公開当時、とても話題になったが見逃していた。数年後、テレビで観たがはっきりとは覚えていない。今回改めて観て考えさせられる。それは怪奇映画を観る時のような怖いもの見たさが心のどこかにあったからだ。実話にもとづいているとはいえ、ドキュメンタリーではないからドラマ性が求められる。作る側にしてもエレファント・マンをミステリアスに仕立て、なかなか正体を見せないところなどは怪奇映画の手法だろう。そうなると観ている方としては、早く正体が観たくなる。
 しかしその好奇心だけで本作を観てしまうと、本作の本質を見誤ってしまうだろう。外見だけで人を判断してはいけないということはわかりきっていることだが、ジョン(ジョン・ハート)は人とさえも見られていないバケモノ扱いだった。見世物小屋で虐待されていたジョンを外科医のトレヴェス(その後、怪奇映画の常連となるアンソニー・ホプキンス)が救う。満足にしゃべれないジョンに言葉を教えるが、実はジョンは高い知能を持っていた。しかも虐げられて来たというのに、おだやかで純真な心を持っている。トレヴェスがジョンを自宅に招待し、妻に紹介した時のジョンの反応に驚く。美しい妻がジョンにやさしく接すると、初めてのことに感動して涙を流す。何とピュアなんだろう。
 トレヴェスはジョンの存在を公表し、マスコミも飛びつくが、賢明なトレヴェスはここで自分の過ちに気づく。自分がやっていることは見世物小屋の興行師と変わらないと。ただし、ジョンを金儲けの道具としか見ていない卑劣なやつらとは違う。そいつらには、心はお前らの方が汚いと容赦しない。
 イギリス演劇界の大女優ケンドル夫人(アン・バンクロフト)や皇太子妃とまで交流するようになる。高貴な方は心も高貴なのだろう。自分がジョンと会ったら、どう接するだろうか。
 19世紀末のロンドンがモノクロで描かれ、それが雰囲気にマッチしている。

2025/10/24

2025/10/24

78点

VOD/U-NEXT/レンタル/テレビ 


同情とは人の気持ちを想像すること

ネタバレ

本作の公開時、日本の宣伝は“『イレイザーヘッド』の監督の最新作!”と、やたら前作を強調していたと記憶している(注)。『イレイザーヘッド』の不気味で不思議な世界観が、リンチ監督をいちやくカルトの帝王となしえた。この宣伝文句から、前作同様異様で不思議なリンチワールドがさく裂すると思って観ると、良い意味で裏切られる。「エレファント・マン」と呼ばれる奇形男性を、『イレイザーヘッド』の奇形な赤ん坊と同じだと思ってはいけない。これは、重い障害を持った青年の人権と尊厳の物語だ。

プロテウス症候群を患っていた実在の青年をモデルにしたジョンは、強度の奇形により、見世物小屋の目玉として、興行主から虐待されていた。彼の姿を観た外科医のトリーヴスは、研究対象として興行主から彼を買い取り、病院の屋根裏部屋に住まわす。本作はジョンの数奇な人生を描くものだが、私は彼を取り巻く人物の、彼への対し方の違いにとても興味を持った。本作に登場する人物で本当の意味での悪人はいないということを・・・。

本作で一番の悪人として登場するのは、ジョンを見世物にして金を稼いでいる興行主バイツだ。彼はジョンを虐待している。トリーヴスへ高額でジョンを売ったにもかかわらず、有名になったジョンを手放したことを後悔し、彼を病院からさらって再び金もうけをしようとする強欲な人間だ。しかし、バイツがジョンに執着するのは果たして金儲けだけが理由だろうか?彼はジョンを一切人間扱いせず、家畜のように鞭打つ。だが、家畜でもいなくなれば寂しいものだ。彼にはジョンを立派な見世物(?)として育て上げた自負もある。トリーヴスがジョンを「発見」したと世間で注目されていることに悔しい思いもあったろう。彼には彼なりに歪んだ愛情をジョンに持っていたと私は感じる。だた、ジョンに対する扱いがトリーヴスと真逆だっただけだ。

トリーヴスは、彼に「人間的」な生活ができる環境を与え、文化や芸術を教える。果たしてトリーヴスは善人なのだろうか?見世物小屋からジョンを買ったのは、重度な奇形である彼の体に、医学的な興味を持ったからだ。珍しい症状を学会で発表する彼は、ジョンを見世物にしていたバイツと何ら変わらない。その後、知能遅れだと思っていたジョンに高い知能があることを発見した彼は、前述のようにジョンを人間として扱い、家に招待したりする。彼の妻は、ジョンの姿を見て思わず泣いてしまう。妻の涙は強い同情によるものだが、そこには「可哀そうに彼はどんなに辛い目にあってきたことか・・・」という意味が込められている。同情は良くないことのようにとらえられがちだが、私はそうは思わない。同情できるということは相手の気持ちを想像できるということだ。現代には相手の気持ちを想像できない人(同情すらできない人)が多すぎる。トリーヴスのジョンに対する行為も同情と興味以外の何ものでもない。ジョンのことが新聞記事となり、興味を持った著名な舞台女優が彼の病室を訪問したことが大々的なニュースになると、上流階級の人々がこぞってジョンの元を訪れることが「流行」する。そのほとんどが同情もなく単なる儀礼的な訪問をするだけだ。どうだろう、バイツの見世物小屋と全く変わらないではないか。トリーヴスの間違いを指摘するのは、ジョンを毎日世話している看護師長だ。また、ジョンを担当する若い看護師も、最初こそ彼の姿に恐怖したが、ジョンの優しい心根を知って、彼を温かく見守っている。ジョンに毎日接している者と、ときたまジョンの元を訪れるだけのトリーヴスとの認識の差が興味深い。

もう1人、ジョンに対して辛い仕打ちをする者がいる。病院の夜警のジムだ。彼はしょっちゅうジョンの部屋に勝手に入って来て、ジョンを嘲笑する。ある日、酔った彼が大勢の人間を引き連れて、部屋に乱入し、ジョンを弄び、乱痴気騒ぎを起こす。恐怖で混乱するジョン、部屋はめちゃくちゃ、彼が大事にしていたものは破壊される。一行が帰った後、ジョンは発作を起こす。ジムの行動はジョンに対して悪意あるように見えるが、実はその逆で、おかしなことにジムはジョンを友達だと思っている。ただしその友情はいじめっ子といじめられっ子の関係でしかないのだが・・・。いじめっ子はいじめている相手の気持ちなど考えないものだ。本人は「遊んでいる」と思っている。とくに酔っ払っている時はことさら相手が嫌がっていることなど考えない。もし相手が明確に「いやだ」と言っても、「ノリの悪いヤツだ」と笑うだけだ。本人は軽い気持ちで真の悪意は無いのだ。ジョンは典型的な同情できない(相手の気持ちを考えない)人物なのだ。

ではこのように「見世物」にされているジョン本人の気持ちはどうなのだろう?たとえ興味本位で彼の病室を訪問する客ばかりであったとしても、見世物小屋で人間扱いされない頃より、ジョン本人としては幸福だったと私は信じたい。彼は文化的な生活を心から楽しんでいる。たとえ作り笑いのご婦人相手でも、彼女たちにお茶をふるまう彼は満足だったはずだ。孤独と恐怖と絶望の中で生きてきた彼が、少なくとも人と接することができたのだから。彼は叫ぶ「私は人間だ!」。一時でも理解ある人たちから彼の尊厳が認められたとしたら、安らかに眠るラストシーンはエッピーエンドだとしてよいと思う。

注)Wikipediaで調べたところ、日本での公開は『エレファント・マン』が先、どうやら本作のヒットを得て『イレイザーヘッド』が公開されたようだ。では私のこの記憶はTV放映時のものかもしれない。←あいまい

2025/08/24

2025/08/31

80点

レンタル 
字幕


素晴らしい

観客はエレファントマンの姿を物語序盤に見る。彼の容姿がどうなんだと興味を引かせることをせず、中盤以降は完全にヒューマンドラマである。登場人物の多くが優しく接することがうれしい。

2025/07/02

2025/07/03

85点

VOD/U-NEXT 
字幕


聖書の訓えは忘れられている

ネタバレ

母親の美しさが際立つ映画だ。冒頭のシーンもラストシーンも、いずれも母親の美しさを強調している。思わずもらい泣きしてしまうシーンはアンソニー・ホプキンス演じる外科医の妻アンが、ジョン・メリック(ジョン・ハート)が醜い姿とは裏腹に、美しい心を持っている彼と接して涙するシーン。そしてアン・バンクロフト演じる女優が「ロミオとジュリエット」をジョン・メリックに渡して最後にキスするシーン。

そう、この映画は、母親が胎児の頃象に踏まれそうになった恐怖から獣のようになって生まれ生きてきたジョン・メリックの心が女性に呼応するものであることを示す。

新約聖書詩篇23章は善い羊飼い、強者が弱者を虐げないようにと諭すキリストの言葉をジョン・メリックは暗記している。一度はこの獣を追い出そうとして院長が、メリックが知的障害者ではないことを理解する美しいシーン。聖書の訓えはいま、すっかり忘れさられているように感じる。

しかし見た目でメリックを見世物にしたり虐げたりする群衆。トイレに追い詰められたメリックが「わたしは人間なんだ!」という叫び声に震える。同じ人間が見た目(ルッキズム)で他人を判断してしまう世界。「美女と野獣」「シラノ・ド・ベルジュラック」「サブスタンス」「逆転のトライアングル」など、様々な映画がよぎる。これは白人至上主義的は偏見や格差など、様々なテーマを盛り込んだ作品といえる。

しかもこれが実話からヒントを得ているというのも驚きだ。

2025/01/21

2025/01/21

90点

テレビ/有料放送/WOWOW 
字幕


封切り時の終演後

恥ずかしながら、嗚咽が止まらず立ち上がれなかった。
メリックと一体化したのだと思う。
望みをかなえ、最高に幸せだったその夜、メリックと共に私も死の床につくことを選んだのだと思う。
と同時に、泣きながら、この監督(リンチ監督とは初出会い)はなんと意地が悪いんだろうと思っていた。
異形の存在と対面して、人はどのようにふるまうのか、そこが問われていた。
どの範囲までをおまえは「ふつう」だと思うのかね。どの範囲を超えたらおまえは「見世物」としてあるいは「実験材料」としてあるいは「同情や慈善の対象」としてとらえるのかね。
かつて日本でも見世物小屋は隆盛をきわめていた。小屋で「展示」されていた異形の人々は、そのことを宿命だと諦めていたのか、それとも生きていく術だと割り切っていたのか。
富の偏り、あるいは全体の窮乏により、「ふつう」でない者に無償で「分け与える」社会的資源がない場合、「ふつう」でない者は、人間としての尊厳を云々する前に、いかなる術を使って明日まで生き抜いていけるのか、そのこと以上に大切なことはなかったはず。
などと考え込んでいる時点でわたしはすでに冷血である気もする。

ひさしぶりに瞽女歌を聴きたくなった。

合掌