スタンリー・キューブリック監督の作品はドラマとして観るのではなく、対象物に対する研究結果報告みたいなのである。つまりはエモーションじゃなくて、観察研究である。
本作品ばかりか、キューブリック監督は観客にドラマによる感情の動きや感動を求めていないのだと思う。したがってホラーなのに怖くないのである。感情の動きを観客に期待していない監督は怖いと思わせなくて結構、という構えなのだろう。主人公たちが超常現象に対してどう反応するのか、学者がみていて彼らの行動を観察している。
通常の映画なら登場人物に観客の共感を呼ばせて感動まで持っていくのだが、キューブリックは映画の登場人物などは観察の対象なので、距離をおいてみつめている。それが神の視点とまではいかないな。人間がこういう状況になったらどう行動するのかまとめていく研究報告を観ているかっこうになる。
だからキューブリック映画は映画ではなく、学究のレポートみたいに思える。だから彼の映画は常にクールで登場人物に距離を置いて反応をみているだけなので、感動が生まれない。
ビジュアル的に凝った映像がたっぷりでそこは映画らしく見応えがある。けれど感動はしない。研究レポートではしょうがないか、と思う。私はなぜ映画を観るのかと言えば、感動が欲しいからだ。だからこういう冷めた視点で描くのも良いけれど、登場人物の誰にも肩入れしない突き放したものでは、感動できない。
キューブリックは巨匠であるから低予算のB級C級のホラー映画のこけおどしなんかバカにしているのだろう。けれど観客は怖いのを期待しているのだ。こけおどしだろうと何だろうとびっくりしたいし、腹の底から怖いという感情の動きを感じたいのだ。原作者スティーブン・キングはキューブリックはホラー映画の何たるかを理解していないと本作をお気に召していない。だが芸術的な点から評価されて、「レディ・プレイヤー・ワン」みたいにオマージュを捧げる映画監督のいるカルト映画である。