タルコフスキーの愚作というか完ぺき失敗作。
長くても《アンドレイ・ルブリョフ》を見ればよかった。
▼核による破局までが長過ぎだし、あの長さ、描き方に意味を見出せない。
▼魔女とされた召使いのマリアと寝れば願い=世界を救う、が叶うというのが唐突過ぎる。
▼で、生贄として?家を焼く行為に至るのもわけがわからん。
エルランド・ヨセフソンは《ノスタルジア》では自らに火をつけたが、《サクリファイス》では家に火をつけたというだけ。
✖︎冒頭と終わりにマタイ受難曲”Erbarme dich, mein Gott”が長々と流されるが核戦争を始めておいて「お哀れみください、神よ」というのは間違ってるでしょ?
✖︎唯一絶対神に生贄を捧げて、なんとかしてもらおうという信仰者の姿勢が不快。絶対神なんだから子供だの羊だのはいらないはずでしょ?アブラハム、あんたは間違ってる!
この作品では水が美しく描かれていない。タルコフスキーのカラー作品では水がとても美しく描かれる。特に《ストーカー》《ノスタルジア》。だがここでの水は黒い灰や黒い残骸を浄める力は無い。放射能汚染は水では浄められない。ということなのだろう。だから正しい描き方ではある。
タルコフスキーはベルイマンをやりたかったのか?
夫アレクサンドルと妻の不仲、妻が医師ヴィクトルを愛しているとかの夫婦のごちゃごちゃなんかいらなかった。
宙に浮くというモチーフがこの作品ほど崇高さを感じないタルコフスキーはない。
良いとこも書いておこう。
冒頭の野原をアレクサンドルと子供がひたすら画面を右から左に移動する、そのドリー撮影からこちらが受け取る呼吸。
いつものタルコフスキーで素晴らしい。
子供はみんなから名前を呼ばれず、常に“子供”と呼ばれる。
あらゆる子供=未来と言いたいのだろう。ちょっと煩わしいというかわざとらしい。《長屋紳士録》の「坊主」「坊や」の方がずっと自然だし、ラストの浮浪児集団の映像でメッセージが強く伝わる。このタルコフスキー遺作ではエンドクレジットの後に『タルコフスキーの息子アンドリューシャに捧げる』と御大層にメッセージと共に子供の名前が使われる。
またダメな点になってしまった!
もう一つダメなとこ。
アレクサンドルの家でのヴィクトルとオットー達の会話。なんか思弁的、観念的で鬱陶しい。暗い家の中での会話、それが1時間ぐらい続く。ベルイマンじゃないんだからさぁ!
はじめの方の野原でのオットーとのやり取りで『願い続ければ云々』『毎日同じことを繰り返すと』というシンプルなメッセージの方がずっと強く伝わってくる。
残念なタルコフスキーの遺作でした。