事件の概要はもともと知っていましたが、それにしても起きていることがひどすぎて、ずっとイライラしながら観ていました(癖で爪をギリギリしてしまって、爪がなくなるんじゃないかというくらい)。
特に安倍晋三(名前のテロップは一応ぼかしてありましたが)の国会答弁(自分がこの事件の被疑者逮捕の中止に関して知るわけがないという逆ギレのようなテンションの答弁。そもそも安倍氏指名なのに官僚が返答しようとしていた)や、逮捕中止を命じた中村格の栄転(その後、安倍氏暗殺の責任をとるという形で退官)。
被疑者の山口氏自身は、起きたこと自体は是認しつつ、違法ではないと主張。ジャーナリストの中で安倍氏ともっとも親しいとまで言われる人物で、係争中に「総理」なる本まで出版。
そのことに関する官僚側の「忖度」なのか、安倍氏の指示なのかは不明(しかしながら、忖度であるならば、安倍氏は真っ当に本来の対応をするよう、つまりは逮捕すべし、と警察に指示するべきだと思いますが)。
そもそも、逮捕の流れになったのは(今作を見る限りでは)被害者である伊藤氏が粘り強く働きかけつづけたから。
担当の捜査官は逮捕の直前(中村格に止められたが)までやりはしたものの、自分の立場がなくなるとのことでそれ以上の関与を拒否。それでいながら、伊藤氏を気遣うような上辺のことを言い、食事に誘うなどしており、(本作を見る限りではという留保は一応あれど)嫌なおっさんの典型的な振る舞い。
自分の仕事が失われるかもしれないというのは、確かに重大なことではあるかもしれない。しかし、警察に所属する者(あるいは検察や裁判所、政府等も含め)は、正義や公正さを守る機関である以上、そんなことを優先するようなら就くべきではないと、他人事の立場であれど思わざるを得ない。(もちろん、そんな腐った組織にしている者たちに最大の責任がある)
一方で、民間のホテルのドアマンの人が事件当時の証言を申し出る(自分の名前を出すことも、それで職を辞することも厭わず)のは、日本という国の構造のまずさを象徴している。もちろん、ドアマンの人の行為は正しいのだが、そもそも警察が真っ当に機能していれば、民間人が覚悟する必要がない。
被疑者の山口氏に関しても、今作では特に説明されていなかったが、TBSのワシントン支局長であったはずの山口氏と伊藤氏が東京で会うことになったのは、山口市が従軍慰安婦に関するデマ記事を書き、そのことが本社で問題視されて帰国していたためである(同月、支局長から解任、翌年退社)。
その後、「HANADA」やら「WILL」やらというネトウヨ御用達の雑誌に寄稿するライターとなっているわけだが、このようなそもそもデマを流すような人物を「最も親しいジャーナリスト」と言われることをよしとしていた安倍氏に大いなる不信を抱くべきだ(統一教会との関係も鑑みるに、本当に親しいかとは別に、付き合うのに不適切な相手だとしても利用できるならするというのが安倍氏のスタンスだったのだろう)。
奇しくも今作が札幌で公開される数日前、衆議院選挙直前で、山口氏は立憲民主党(というか急きょ公明党と合流した中道改革連合)の安住氏のデマを流していた。
今作ならびに伊藤氏自身について、さまざまな毀誉褒貶がある。
今作にも出てくるが、最初の記者会見で服の胸元があきすぎているとか(だから何?)、目立ちたがりだとか(仮にそうだとして、だから何?)、ハニートラップだとか(それなら訴えて本人に何の得がある?)、今作につかっている素材の許可どりが不十分だとか(それは良くないかもしれないが、ジャーナリズムとしてはどちらを優先すべきかの決断はありえるべきことだろう)。
今作ではたとえば、山口氏に1,100万の訴訟を起こした件は語られない(受理されるとかされないとかのくだりが該当するかもしれないが、金額の話はない)ため、山口氏からの1億3,000万円の訴訟がより際立つ演出になっているなど、伊藤氏側に肩入れする内容になっているといえば否定はできない。
しかしながらそれも「だからどうした?」とも思う。
結審したの2022年。事件から7年後のことだ。
しかも、山口氏はいなおり、中村氏もいなおり、安倍氏は知らぬといったまま死んだ。誰も真っ当な謝罪もしなければ、総括も行われていない。
これはこの事件に限らず、日本のシステム全体に蔓延する病理だ。
個人的に、伊藤氏について危ういな(本人が悪いということではなく)と思うところはある。
見た目が良過ぎるというのがひとつ。そのため、好奇の目にさらされてしまう。本人が常に見た目を整えているのも(裁判のときは、ひとりだけカジュアルめなマフラーをしていて、明らかに目立っていた)、日本では叩かれやすい要因になってしまう。
今作は伊藤氏の独白含め、英語のところが多く(留学・進学でアメリカにいたからということのようだ)、そのあたりは、内容の生々しさを緩和するため、あるいは衝動的に話すことを避けるためにワンクッションおいていると理解できるが、単に「いけすかない」と思われることもあるのではないか。
「ジャーナリスト」と自分のことを言っているが、ジャーナリストになろうとしたいわば就活中に事件に遭ってしまったわけで、ジャーナリストと言えるような人なのだろうか?という不信感は正直なところ私にはあった。あけすけに言えば、うさんくささを感じていた。
しかしそんなことはまったく関係ない。だからひどいめに遭ってよいなどということはありえない。
ある意味で利害関係者である山口氏を訴えた時点で、日本ではKY(死語か)ととらえられかねない。
しかし、訴えれば大変なことになるのはわかっているが、沈黙するなら自分にとって幸福はない、という伊藤氏の独白はそのとおりだと思う。
おかしいのは間違いなく、日本社会の方ということ。