明治も末のある年のこと。浜町河岸の料亭辰巳屋には、差し押さえに立ち廻った債権者たちの声が無情にひびいていた。その最中、一人娘のお篠は、自分が幼い時から親しんできた伊達白鷹画伯の「春近し」と題する名品を待合・砂子にあずけに出た。こうして白鷹画伯の一幅だけは債権者の手から救われた。お篠は小篠と呼び名をそのままに芸者となった。面倒を見る砂子のお女将・おとりは、小篠にご執心の船成金・五坂熊次郎に小篠を取りもとうとの算段をしている。小篠も、嫌な奴とは思っても、大事なお客とあれば、三度に一度は勤めねばならない。だが、白鷹画伯の愛弟子・稲木順一の文展入選の祝いで座敷に呼ばれ、ともに「春近し」に見入ってから、お篠の心は急速に順一に傾いていった。順一が、苦しんだ酒の介抱のお礼といって持参した色紙には、清水にたたずまう一羽の白鷺が描かれてあった。「あなたの印象です」と順一は言った。彼の心にも、小篠が宿ったのである。この二人の様子に気づいた五坂は、おとりに矢の催促。おとりは、「ご前さんからはお前に大変なお金が出てるんだよ」と、小篠に引導を渡した。がっくりとうなだれた小篠は、消えいるように五坂の寝室へ歩き出した--。小篠を待つ順一の部屋の襖がスーツと開いた。顔青ざめた小篠が音もなく入って来て、隣の部屋へ--。が、そこには誰もいなかった。その頃、小篠は五坂の寝室で自分の喉をついていたのだ。小篠の死出の衣裳となった長襦袢には、かつて順一が心をこめて描いた白鷺の図柄が、色も鮮やかに染めぬかれていたという。