天平十七年の五月、都が近江紫香楽から奈良へ移され、時の帝、聖武天皇は遷都を機会に国土平安、万民幸福のため五丈五尺の大仏建立を仰せいだされた。ところが、宮廷内に於てこのことをめぐって建立を成就させ帝の信任を集めようとする藤原ノ仲麿呂と建立の不可能をとなえ、仲麿呂を失脚させようとする橘の奈良麿呂一族との政治的抗争が激化した。造仏長官に任ぜられた国中ノ公麿呂は両方の板ばさみになり造営に対する自信を失いかけるが、時の大僧正行基にはげまされ、彫刻の若い天才楯戸ノ国人を助手に得て、専心造営にとりかかった。国人は若い情熱と才能とを傾けて日夜その設計に没頭したが、そのため野性的な彼の恋人麻夜賣に逢う機会も少なくなり、彼女の心を淋しさにいら立たせた。造営事業が進むに従って橘一族のこれを妨害する陰謀ははげしくなり、巫女の大宮ノ森女に建立を呪咀させたが、国人の努力で大仏の原型は見事に完成した。そして、いよいよ人力と資材の限りをつくして大分の鋳造工事にとりかかった。麻夜賣は国人が前右大臣の美しい未亡人橘ノ咲耶子の像を刻んでいることに激しい嫉妬を感じた。国人の才能をねたみ、麻夜賣に野望を持つ新城ノ小楠は彼女の嫉妬を利用して妖しい踊りをおどらせ、そのすきに大仏の右手の鋳型をはずすと共に大音響をたてて崩壊し、この椿事のため建立は中止されることになった。しかし行基大僧正の遺言もあり、再び建立再開の大命が帝より下された。こうして大仏完成の日が近づくと橘の奈良麿呂の焦りは激しく、大仏の顔を鋳上げる前夜、再び小楠を使って顔を鋳る銅の中へ鉛塊を混合させた。こうすれば絶対に鍍金は出来ないのだった。当日大爐から火となった銅汁が顔の鋳型へ向って流れはじめたとき国人はその色によって異変をさとり身をもってこの流れを防いだので、全身に致命的な火傷を負った。無事に完成した大仏の顔の鋳型の外されるのを見ながら国人は死んで言ったが、国人に死に麻夜賣には白衣をまとって大仏の掌の上でいたましくも狂い踊っていた。