【特異な位置で映画に心血を注ぐ日本アニメーションの巨匠】東京都生まれ、飛行機会社役員の父を持つ。学習院大学政治経済学部在学中は漫画家を志すが、アニメーションにも関心を持ち、卒業後の63年、最後の定期採用で東映動画に入社する。同社の映画作品においてアニメーターとして頭角を現わし、高畑勲監督の盟友となって会社を移りながら、『アルプスの少女ハイジ』など多くのテレビ作品で活躍した。78年に『未来少年コナン』で初の単独演出、まもなくテレビ版も手がけた『ルパン三世』の劇場版「ルパン三世・カリオストロの城」(79)で映画監督デビューする。監督第一作の公開当時は一部に支持されただけだったが、自身の漫画原作を映画化した「風の谷のナウシカ」(84)はキネマ旬報ベスト・テンにもランクインし、その名を広く知らしめた。85年、製作拠点として高畑と共にスタジオジブリを設立、「天空の城ラピュタ」(86)に続く「となりのトトロ」(88)がアニメーションでは初のキネマ旬報ベスト・テン1位に輝き、作家としての地位を確たるものにする。「魔女の宅急便」(89)以後は興行収入でも常に上位に位置して人気と評価の伴う監督となり、「もののけ姫」(97)は興行記録を塗り替える大ヒット、「千と千尋の神隠し」(01)でさらに「タイタニック」を超えて国内史上第1位の記録を樹立。また同作はベルリン国際映画祭で金熊賞、アカデミー賞で長編アニメーション賞と、世界でも一流の評価を得ることを示した。以後も寡作ながらアニメーション大作を製作、桁外れの興行成績を収めつつ作家主義的な映画作りに邁進している。2005年、ヴェネチア映画祭で栄誉金獅子賞を受賞。【ジブリと作家主義】一般に、エコロジーや文明批評といったテーマ性と、“飛翔の作家”とも称される動画の魅力との両面から作家性が語られる。「天空の城ラピュタ」の飛行機械、「魔女の宅急便」のホウキ、「紅の豚」(92)のプロペラ戦闘機など、物語主題と密接した飛行場面の演出には定評があり、「風の谷のナウシカ」や「もののけ姫」における環境と人間・文明の関係を問う姿勢は、子供向けの通念に縛られたアニメーションを大人の鑑賞対象に押し上げた。テーマ追求を極めた「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」以後は、物語の完成度より、動画や表現の愉しさに熱意を注ぐ傾向にある。この作家性の背景にあるのがスタジオジブリという特異な製作現場であった。企画・脚本から設定・原画・演出のすべてに手を入れるワンマンスタイルの映画製作に専念し、そのためのスタッフ育成や環境整備も行なってきたスタジオはアニメーション界に稀有な存在であり、「崖の上のポニョ」(08)の驚異的な動画もジブリあってのもの。後進の育成に成果が見られないという弱点はあるものの、この製作環境を作り上げた過程もまた作家活動のひとつに数えられる。