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小林旭

  • Akira Kobayashi
  • 出演/監督/製作/音楽
本名
出身地 東京市世田谷区(現・東京都世田谷区)
生年月日 1937/11/03
没年月日

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略歴

東京市世田谷区(現・東京都世田谷区)の生まれ。4歳の時に劇団東童に入り、1944年、小学校1年生で三越劇場の劇団公演『青い鳥』のチルチル役で初舞台を踏む。54年、目黒高校在学中に東童の子供たちを日活へ引率した際、茂木了次プロデューサーに声をかけられたのを契機に日活のエキストラとなる。翌55年に高校を卒業。エキストラをしながら56年の日活第3期ニューフェースに合格し、同年10月封切りの川島雄三監督「飢える魂」の轟夕起子の息子・小河内昭の役で正式にデビューする。56年、石原裕次郎のデビューによって勢いづいた日活は、以降、矢継ぎ早に裕次郎主演映画を製作するが、旭はこのうち「勝利者」「今日のいのち」57に助演。同年、吉村廉監督「青春の冒険」では初主演を果たす。高校生の役で、落馬負傷した父(菅井一郎)の付き添い看護婦(小園蓉子)によってはじめて女の肉体を知り、好意を寄せる女学生(香月美奈子)をソデにするという思春期ものであった。58年には舛田利雄監督「錆びたナイフ」で裕次郎と共演、悪徳ボスに追われながら逆襲に転じてボスと黒幕を滅ぼす男の役を演じて好評を得る。浅丘ルリ子と共演した滝沢英輔監督「絶唱」58は典型的な純愛メロドラマで、旭は瑞々しい演技を見せ、初期の代表作とした。そして、59年の井上梅次監督「嵐を呼ぶ友情」が正月映画に登場し、ついに裕次郎に次ぐ日活看板スターのひとりとなる。舛田と4度目のコンビを組んだ「女を忘れろ」59では、無気力なボクサーくずれのドラマーに扮し、悪徳土建屋に騙された母娘を救うため暗黒街のボスに身売りして海外へ去るという孤独な男を心情あふれる演技でこなす。舛田演出の冴えとともに映画は日活初期の傑出したムードアクションに仕上がった。また、この作品は前年、旭がコロムビアレコードの専属となって吹き込んだ同名歌の映画化で、彼は歌うスターとしても売り出してゆく。続く「二連銃の鉄」「爆薬(ダイナマイト)に火をつけろ」59などのアクションものに真価を発揮し始め、ついに斎藤武市監督「南国土佐を後にして」59の大ヒットにより、日活の新しいドル箱スターとなる。旭演じる刑務所を出たやくざが、浅丘ルリ子扮する恋人と堅気の世界に生きようとするが再び暗黒世界へ引き戻されるというストーリー。アクション、歌、地方ロケという3つの要素を含む「渡り鳥」シリーズがここに生まれ、西部劇のヒーローばりに馬に乗り、拳銃を撃ち、ギターを手に歌まで歌って悪を次々と打ちのめす主人公・滝伸次は、日本アクション映画史上に永遠に記憶されるべきヒーロー像となる。旭の代名詞となって興行的にも安定した「渡り鳥」シリーズは、62年の「渡り鳥故郷に帰る」まで計9作が作られた。さらに、これも旭の当たり役のひとつとなった「流れ者」シリーズも派生的に誕生し、60年の「海から来た流れ者」から61年の「風に逆らう流れ者」まで計5作、「南国土佐を後にして」のすぐあとに主演した「銀座旋風児」59、翌60年の「東京暴れん坊」もシリーズ化され、「旋風児」59~63は計6作、「暴れん坊」60~63は計5作が世に出る。この時期、日活は裕次郎を“タフ・ガイ”、旭を“マイト・ガイ”と称して大宣伝で売り込み、日活の二本柱として大車輪の活躍。61年1月には裕次郎がスキー事故で8カ月の活動休止、人気急上昇中だった赤木圭一郎が同年2月に事故死という日活の屋台骨を揺さぶるような事件が続けて起こるが、旭はその穴を埋めて、宍戸錠とともに危機を乗り越え敢闘した。62年11月に歌手・美空ひばりと結婚し国民的な話題となったが、世田谷区上野毛に新居を構えての結婚生活はわずか2年で離婚に終わる。64年以降は「賭博師」シリーズ64~66、「あいつ」シリーズ66~67、「女の警察」シリーズ69~70、「ネオン警察」シリーズ70と次々に主演。いずれも「渡り鳥」ほどの成功はしなかったものの、ひたすら大衆娯楽路線に徹した姿勢は日活アクション映画黄金時代の形成に大きく貢献した。このほか、「関東遊俠伝」63に始まる着流しやくざものにもたびたび主演。演技にふてぶてしさを加え、特に「対決」67ではユーモラスな面も開拓した。しかし、所属する日活は映画斜陽と作品そのもののマンネリ化から経営が行き詰まり、旭は「暴力団・乗り込み」71に主演したのを最後に17年間働いた日活を去る。71年10月スタートのテレビ朝日『ターゲットメン』に13回出演したのち、翌72年から東映専属となった旭は、深作欣二監督「仁義なき戦い・代理戦争」73に助演、武田明の役を貫禄充分に演じ、続く「仁義なき戦い・頂上作戦」74では主役の菅原文太を食うまでの強烈でスケールの大きい演技を見せ、ファンを魅了した。76年、自ら設立した旭日総業、アロー・エンタープライズの2社が相次いで倒産する不運に見舞われるが、翌77年に歌った『昔の名前で出ています』が空前のヒット曲となり、同年暮れにはNHK『紅白歌合戦』に初出場する。78年には片岡千恵蔵に次ぐ二代目多羅尾伴内の栄光を背負っての「多羅尾伴内」シリーズに主演。これが2作品のみで終結したあとは、中島貞夫監督「制覇」82の脇役出演を除いて映画界としばらく疎遠となり、歌手活動が中心となる。年100回以上ものコンサートやディナーショーをこなす一方で『ヤンマートラクター』のCMに出演、独特の甲高い声で「燃える男の~赤いトラクター~」と歌い、マイトガイ健在を印象づけた。85年には、旭をこよなく尊敬するミュージシャン・大瀧詠一が提供した『熱き心に』を歌い大ヒットを記録、久々に若い世代からも広く注目を集めた。88年、「春来る鬼」で監督業に進出。中世の漁村を舞台とした地味な内容で興行的には失敗したが、自身は出演せず監督に専念した旭の、骨太で力強い演出が評価された。歌手としての活動も一段落した92年、和泉聖治監督「修羅の伝説」で久々に俳優業に復帰。衰退するやくざ映画の復興を狙って製作された東映作品だが、旭は往年の渡り鳥を彷彿とさせる激しいアクションを披露している。翌93年にはNHK大河ドラマ『琉球の風』で徳川家康を演じ、芸能生活40周年を迎えた95年には日本テレビ『寝たふりしてる男たち』に主演して、味わい深い演技を残した。また同年、若者に人気のバンド“東京スカパラダイスオーケストラ”をバックに従えて『アキラのジーンときちゃうぜ』を発表。日活時代を思い出させる曲調と陽気な歌声で幅広い人気を獲得した。近年は映画出演はめっきり減り、2003年の石原興監督「首領(ドン)への道」を最後にスクリーンから遠ざかっているが、07年には20年ぶりの座長公演『無法松の一生』を大阪・新歌舞伎座で興行し、1カ月間休演なく連日満員を記録するなど、演じることにかける情熱は変わっていない。歌手活動も精力的に続けており、今なお現役感を保ちながらスターとしての輝きをいささかも失わない姿は驚嘆に値する。

キネマ旬報の記事

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