【高倉健の個性を活かして長年支え続ける名コンビ】長野県松本市の生まれ。1957年、東京大学文学部を卒業後、東映に入社。特定の監督には師事せず、家城巳代治「裸の太陽」「素晴らしき娘たち」、田坂具隆「はだかっ子」、3カ月準備して流れた伊藤大輔『日本秘録』などが助監督時代の思い出に強く残っているという。66年、現代の屈折した青春像を描いた「非行少女ヨーコ」で監督デビュー。以後、やくざ映画全盛期の東映でローテーション監督に組み込まれ、中では69年に発表した「現代やくざ・与太者の掟」、続編「与太者仁義」が組織からドロップアウトした一匹狼の血みどろの闘いを描き、菅原文太が脇役から一本立ちした記念碑的な作品となった。既成の任侠映画の枠を越えた異色のヒーロー像は、その後、降旗が手がけた「新網走番外地」シリーズ(69~72)にも受け継がれる。74年より東映を離れてフリーとなり、しばらくはテレビを中心に活動していたが、78年、倉本聰脚本・高倉健主演の「冬の華」で劇場用映画に復帰。やくざ版“足ながおじさん”ともいえる洒落たタッチのフィルム・ノワールに仕上げ、降旗の名は再びクローズアップされた。この好評を受けて81年には、同じ倉本=高倉とのトリオで「駅/STATION」を撮り、こちらも高い評価を受ける。日本映画を代表するスター・高倉健とのコンビは、東映時代からの信頼をより強固なものにして、以後も「居酒屋兆治」(83)、「夜叉」(85)、「あ・うん」(89)と高倉の個性を活かす佳作が重ねられた。【多彩なジャンルをこなす職人】それらと並行して「別れぬ理由」(87)、「寒椿」(92)、「藏」(95)などの文芸映画、「将軍家光の乱心・激突」(89)などの時代劇、「タスマニア物語」(90)のようなファミリーピクチャーからやくざ映画まで、実にさまざまなジャンルで手堅い演出手腕を発揮し、大いに重宝がられる。90年代に入ってからは高倉健が企画を厳選するようになって、しばらくコンビ作品がなかったが、99年、浅田次郎のベストセラー小説が原作の「鉄道員(ぽっぽや)」で老いの境地に入った高倉の枯れた味わいを巧みに引き出し、多くの演技賞をもたらした。続いて元特攻隊員の人生を描いた「ホタル」(01)を経て、中国のチャン・イーモウ監督が高倉を招いて撮った「単騎、千里を走る。」(06)では日本パートを演出。長年の盟友としての伴走は終わらない。近年はこれら重いテーマの大作が続いていたが、07年の妻夫木聡主演「憑神」では一転してコミカルな語り口の小品に仕立て、軽妙な手腕を久々に発揮して話題を呼んだ。2019年5月20日、肺炎のため逝去。享年84歳。