大阪府池田市の生まれ。本名・澤田裕子(旧姓・田中)。昭和天皇と誕生日が同じことから諱をもらって名付けられ、本名は“ひろこ”と読む。弟も俳優の田中隆三。中学2年生から北海道札幌市で育ち、その後、明治大学文学部演劇学科に進学。大学在学中の1975年に文学座へ入り、79年のNHK連続テレビ小説『マー姉ちゃん』に、主人公の妹で原作者でもある長谷川町子役で出演する。このデビュー作で一躍人気者となり、今村昌平監督「ええじゃないか」81で映画初出演。続く新藤兼人監督「北斎漫画」81では主人公・葛飾北斎の娘役を演じて大胆に裸身をさらし、その体当たり演技が認められて日本アカデミー賞最優秀助演女優賞、同・新人俳優賞、ブルーリボン賞と報知映画賞の助演女優賞などを次々受賞した。82年の初主演作「ザ・レイプ」でもレイプシーンに加え、法廷で自らの体験を証言する被害者役を堂々と演じきり、存在感をアピールした。松本清張の小説を三村晴彦監督が映画化した「天城越え」83では、主人公の少年が心惹かれる美しい殺人犯の娼婦を演じて強烈な印象を残す。この演技によってキネマ旬報賞主演女優賞を始め、ブルーリボン賞、毎日映画コンクールといった国内の映画賞のほか、モントリオール世界映画祭、アジア太平洋映画祭でも最優秀女優賞に輝いた。また同年にはNHK連続テレビ小説『おしん』にも主演。日本のドラマ史上最高視聴率を獲得したこの作品は、アジアやイスラム圏を中心に世界各国でも放送され、今も根強い人気を残す名作となった。この年はさらに『タコがいうのよねぇ~』というセリフが流行語にもなったキリン『缶チューハイ』のCMでも話題を集めている。85年10月に文学座を退団。その後は「カポネ大いに泣く」85で萩原健一、沢田研二と、「夜叉」85で高倉健、ビートたけしと、「嵐が丘」88で松田優作と、というように当時のスター男優たちと次々に共演。私生活では映画で二度共演した歌手で俳優の沢田研二と、89年に結婚している。この頃から映画出演がしばらく途絶えるが、代わりにテレビ演出家・久世光彦によって魅力を引き出され、86年のTBS『おんなの人差し指』を皮切りに久世演出の『向田邦子新春スペシャル』の常連となって、2001年の『風立ちぬ』まで毎年シリーズの顔として出演し続けた。日本的な面差しを持ち、シリアスからコメディまでこなす演技の幅の広さと、妖艶でありながら芯の太さも感じさせる独特の持ち味は、このシリーズとともに深みを増していく。この時期のテレビドラマの出演作はほかに、TBS『想い出づくり。』81、『花嫁人形は眠らない』86、NHK『うまい話あり』86、『その人の名を知らず』89、フジテレビ『帰郷』89、日本テレビ『九時まで待って』89など。96年に山田洋次監督「虹をつかむ男」で久々にスクリーン復帰。99年には、子供の受験戦争とサラリーマンのリストラを重ね合わせた滝田洋二郎監督「お受験」と、夫・沢田と三度目の共演となる、大阪に暮らす売れない漫才師夫婦とその娘との触れ合いを描いた市川準監督「大阪物語」の2本に出演し、日刊スポーツ映画大賞と高崎映画祭の助演女優賞を受賞した。降旗康男監督「ホタル」01では再び高倉健を相手役に、特攻隊の悲劇が心に傷跡を残している夫婦を好演した。さらに円熟味を増した演技を見せたのは05年のこと。初恋の男に今も思いを残しながら牛乳配達とスーパーの仕事を続ける、独身女性の秘めた情熱を映し出した緒方明監督「いつか読書する日」と、難病の息子のために惜しみない愛情を注ぐパワフルな女性陶芸家の母親に扮した高橋伴明監督「火火」に主演。台詞以上に一瞬の表情や仕草でキャラクターの心情を伝える彼女の演技は、この2作によってひとつの頂点に達したと言ってもよい。それはキネマ旬報賞を始め、毎日映画コンクール、報知映画賞の各主演女優賞に輝いたことでも証明されるだろう。映画ではほかにスタジオジブリのアニメーション「もののけ姫」97で気丈なエボシ御前の声を担当し、「ゲド戦記」06でもクモ役を演じた。舞台は蜷川幸雄演出の『テンペスト』87を始め、『近松心中物語』89、『ペリクリーズ』04、『薮原検校』07、『冬物語』09などに出演している。テレビドラマは、NHK『翔ぶが如く』90、『照柿』95、『わかば』04~05、『帽子』08に加えて、10年には浅田次郎の代表作を日中合作で連続ドラマ化した大作『蒼穹の昴』で西太后を演じた。民放ドラマでは、フジテレビ『怪談・花屋敷』91、『これから』93、『海峡を渡るバイオリン』04、『東京タワー/オカンとボクと、時々、オトン』06、TBS『家族の肖像』93、『風立ちぬ』01、テレビ東京『雁』『にごりえ』93、『夫婦善哉』95、『人情馬鹿物語』98、テレビ朝日『歓喜の歌』08、日本テレビ『Mother』10など多数に出演。これらは連続ものが少なく、名作小説のドラマ化やスペシャルドラマがほとんどで、その起用のされ方と彼女自身の作品選択を見ても、田中裕子が常に特別な女優として扱われてきたことがわかるだろう。50代を迎えて艶かしい女らしさを感じさせながら、一方ではべとつかない乾いた母性も匂わせる大女優の貫禄を持つ。ひとつのイメージに縛られずに年輪を深めてきたその味わいは、常に次を期待させる得難い存在だ。