大阪府大阪市の生まれ。父・左義右と母・文子の四男一女の三男。4歳下の弟は俳優の郷治。小・中学校を東京と宮城県で終え、1952年に宮城県立白石高校を卒業後、日本大学芸術学部演劇科に進む。54年3月、製作再開に備えて日活が募集した第1期ニューフェイスに合格、大学を中退して3月15日付けで日活に入社する。「黒い潮」54、「スラバカ殿下」55などに顔見せ程度に出演したあと、久松静児監督「警察日記」55に若い巡査の役で出演して個性の一端を披露。その後、「おふくろ」55、「牛乳屋フランキー」56などに助演する。57年、平凡な二枚目から脱却するために自らすすんで豊頬手術を行ない、同年の「燃える肉体」では筑波久子を暴力で犯すチンピラを演じて、敵役として売り出す。特に無国籍アクション全盛の60年から62年にかけては、小林旭の「渡り鳥」「流れ者」両シリーズや、赤木圭一郎の「拳銃無頼帖」シリーズで欠かすことのできない敵役として人気を集め、役名からの連想による“エースのジョー”が愛称として定着する。61年、赤木の事故死と石原裕次郎の負傷欠場によって、主演スターとして日活アクションのローテーションに加わる。主演第1作の「ろくでなし稼業」61、2作目の「早撃ち野郎」61がいずれもヒットしてシリーズ化され、コメディタッチもこなせる陽性のアクションスターとしての人気を不動のものに。また、「野獣のように見えて」62、「野獣の青春」63、「肉体の門」64などのシリアスな青春映画でも好演し、幅広い演技力が認められる。「拳銃(コルト)は俺のパスポート」「殺しの烙印」67などの後は、日活専属のまま他社出演やテレビ出演が多くなり、日本テレビ『ゲバゲバ90分』などのバラエティではもっぱらコメディアンとして人気を得る。日活ニューアクションの時代には「縄張(シマ)はもらった」68、「流血の抗争」71などで印象的なアクションスターぶりを見せたが、71年に18年間に及んだ専属契約を打ち切ってフリーとなる。以後、テレビではコメディ、シリアス、時代劇など問わずあらゆるジャンルに出演する一方、映画では「新網走番外地・嵐呼ぶダンプ仁義」72、「仁義なき戦い・完結篇」「新仁義なき戦い」74、「任俠外伝・玄海灘」75、「瞳の中の訪問者」77などで持ち味を発揮する。その後は、NHK大河ドラマなどテレビドラマの脇役で存在感を示すものの、無国籍的ハードボイルドな雰囲気を活かす企画には恵まれず過ごしたが、90年代に入って、永瀬正敏主演、林海象監督の「我が人生最悪の時」94、「遥かな時代の階段を」95、「罠」96の三部作で、主人公の私立探偵・濱マイクの元師匠を貫録たっぷりに演じ、2001年の堤幸彦監督「溺れる魚」では、役名もそのものずばり“エースのジョー”のセルフパロディ的な役どころをさらりとこなした。以降も映画、テレビドラマ、舞台と幅広く活躍。01年には豊頬のために注入したオルガノーゲンを摘出する手術を受けた。62年、元女優の小島昌子と結婚。二男一女があり、長男の宍戸開、長女の宍戸史絵はともに俳優、タレントに。開とは親子二代に渡って、フジテレビのミニ番組『くいしん坊!万才』のレポーターをつとめた。2020年1月21日、東京都世田谷区の自宅にて逝去。享年86歳。