東京市神田区(現・東京都千代田区)の生まれ。本名・内田啓子(旧姓・中谷)。父親は琵琶奏者の中谷襄水。1961年、千代田女学園高校卒業後、文学座付属演劇研究所へ1期生として入所。芸名を“悠木千帆”とする。65年に文学座の正座員となり、66年に退団。その後、岸田森、草野大悟らと“六月劇場”を結成するが、71年に退団してフリーになる。この間の64年に岸田と結婚するが、68年に離婚。64年のTBS『七人の孫』に東北弁をまくし立てるお手伝いさん役でレギュラー出演して茶の間の人気を集め、以降はこのドラマで出会った演出家・久世光彦と組んで、『時間ですよ』70、元気な老婆を老けメイクで演じて話題を呼んだ『寺内貫太郎一家』74、『ムー』77、『ムー一族』78などに出演。『ムー』では『お化けのロック』、『ムー一族』では『林檎殺人事件』など、共演者の郷ひろみとデュエットした挿入歌もヒットした。どんな役でも他人には真似できない強烈な個性を見せつけ、ドラマの世界で独自の地位を確立していった。映画は66年の「殿方御用心」で初出演。以降も脇役ながらコンスタントに出演を続ける。77年、テレビ朝日のオークション・ショーに出演し、売るものがないということで“悠木千帆”の芸名を2万2千円で売却。以後は芸名を“樹木希林”に改めた。81年、吉永小百合主演によるNHKのドラマ『夢千代日記』に芸者・菊奴役で出演。この作品は好評を得てシリーズ化され、彼女も同役でレギュラー出演し、吉永とも意気投合。これが縁となって映画版の「夢千代日記」85を始め、「玄海つれづれ節」85、「つる」88、「夢の女」93など、吉永の主演映画に常連として出演を重ねた。また85年にはNHK連続テレビ小説『はね駒』にヒロインの母親役で出演し、この演技で86年度の芸術選奨文部大臣賞に輝いている。さらにCM業界でも彼女の個性は光り、四半世紀以上出演している『フジカラー』、メーカー会長との掛け合いが笑いを誘った『ピップエレキバン』、田中麗奈を娘役に市川準監督の演出で母娘の触れ合いをシリーズで映し出した『ほんだし』など、CM史上に残る名作は多い。その後も映画では市川崑、深作欣二、鈴木清順、大林宣彦、岡本喜八、森田芳光、根岸吉太郎、森﨑東など名だたる監督たちが彼女を起用。近年は脇役というポジションを超えた助演者として作品に欠かせない役柄も多く、佐々部清監督「半落ち」04では、殺人事件の背景を法廷で証言する被害者の姉を鬼気迫る演技で演じ、ヨコハマ映画祭助演女優賞などを受賞。松岡錠司監督「東京タワー/オカンとボクと、時々、オトン」07では、癌に冒されながらも我が子を気遣う主人公の母親を演じ、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、日刊スポーツ映画大賞助演女優賞などを受賞。さらに是枝裕和監督「歩いても歩いても」08では、家族の前ではいい母親に見えながら心の内では長男を事故で亡くしたことや、夫が昔浮気していたことが今も心の傷になっている女性を絶妙のバランスで演じて、ナント三大陸映画祭最優秀女優賞、キネマ旬報賞、報知映画賞、ブルーリボン賞で助演女優賞を得るなど、演技派として不動の評価を獲得している。テレビドラマはほかに、フジテレビ『鑑真号物語』89、TBS『美空ひばり物語』89、『向田邦子の恋文』04、『僕たちの戦争』06、テレビ朝日『天の瞳』00、『点と線』07など多数。その間の2003年に網膜剥離のため左目を失明。05年には乳癌が判明して摘出手術を受けたが女優業に復帰。現在はテレビの申し子として活躍していた60~70年代よりも仕事量は減ったが、李相日監督「悪人」10でも殺人を犯した主人公の祖母を生活感タップリに表現してみせ、その演技はさらに深みを増してきた。「悪人」で日本アカデミー賞の最優秀助演女優賞を受賞。08年紫綬褒章。私生活では73年10月、ロック歌手の内田裕也と再婚。内田との間に生まれた娘・也哉子は95年7月、俳優・本木雅弘と結婚した。也哉子とは「リトル・シンドバッド/小さな冒険者たち」91で共演、「東京タワー」では樹木扮する母親の若い頃を也哉子が演じている。2018年9月15日、東京都渋谷区の自宅で死去。享年75歳。