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中村嘉葎雄

  • Katsuo Nakamura
  • 出演
本名 小川賀津雄
出身地 東京市赤坂区(現・東京都港区)
生年月日 1938年4月23日
没年月日

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略歴

東京市赤坂区(現・東京都港区)の生まれ。本名・小川賀津雄。父は歌舞伎俳優の三世中村時蔵。五男五女の五男で、4人の兄はいずれも歌舞伎俳優の二世中村歌昇、四世中村時蔵、初代中村獅童(のち東映プロデューサー)、中村錦之助(のち萬屋錦之介)。現在の二代目中村獅童は甥にあたる。1943年に“中村賀津雄”の芸名で初舞台を踏み、高校2年生の時、すでに新進スターとして売り出していた兄・錦之助に続いて映画界入り。松竹の「振袖剣法」55で映画デビューする。時代劇だけでなく現代劇にも才を示し、木下惠介監督「太陽とバラ」56、「喜びも悲しみも幾歳月」57や、家城巳代治監督の独立プロ作品「異母兄弟」57などのナイーブな演技が注目される。58年、東映に移籍し、京都撮影所にて錦之助や美空ひばりとの共演作で、スターとしての華やかさを身につけていく。中でも沢島忠監督による「殿さま弥次喜多」58~60、「暴れん坊兄弟」60は素直な資質を巧みに引き出した逸品であったが、どうしても兄と比較されてしまうことから、やがて東京撮影所へ移行し、沢島監督「サラリーマン一心太助」62などの現代劇に活路を見出す。63年、佐藤純彌監督のデビュー作「陸軍残虐物語」の熱演を最後に、東映を退社。フリーとなっての初仕事は、64年の舞台『越前竹人形』だったが、これが好評で、以後は舞台やテレビドラマにも積極的に活動の場を広げていく。また、この年は小林正樹監督「怪談」で「耳なし芳一」のエピソードに主演。続いて、大島渚監督「悦楽」65で大金を手に入れて女性遍歴を繰り返す男を滑稽に熱演する。田坂具隆監督「湖(うみ)の琴」66では男の純情を見事に体現し、ブルーリボン賞助演男優賞、アジア映画祭最優秀助演賞を受賞。中村登監督「わが恋わが歌」69でも毎日映画コンクール男優助演賞を獲得する。71年の松本俊夫監督の時代劇「修羅」では女に裏切られた男の修羅の心を鮮烈に演じきった。76年、結婚を機に芸名を現在の“中村嘉葎雄”に改名。その後も、熊井啓監督「天平の甍」80で、遣唐使として中国に渡り高僧・鑑真を日本に来日させるべく尽力した僧侶を長期中国ロケで演じ、東陽一監督「ラブレター」81では初のにっかつロマンポルノに挑戦。鈴木清順監督「陽炎座」81では主人公のパトロンを不気味に快演し、キネマ旬報賞などその年の助演男優賞を総なめにした。兄の錦之助とも「日蓮」79、「仕掛人梅安」81などで共演し、息の合ったところを見せる。その後もコンスタントに映画やテレビドラマ、舞台の仕事を続け、着実な演技と存在感を披露。96年には日本映画批評家大賞特別賞を受賞した。21世紀に入ると、手塚昌明監督「ゴジラ×メガギラス・G消滅作戦」00、冨樫森監督「鉄人28号」05などの特撮映画に熟練の存在感で潤いを与え、平山秀幸監督「魔界転生」03では錦之助の当たり役でもあった柳生但馬守に挑んで剣先が伸びる見事な殺陣を披露。東映時代劇出身スターの貫録を示す。ほか、塩田明彦監督「どろろ」07、堤幸彦監督「20世紀少年」08~09などでも好助演。土井裕泰監督「いま、会いにゆきます」04と、フジテレビ『実録小野田少尉・遅すぎた帰還』05、TBS『唐招提寺1200年の謎』09では、甥の中村獅童と共演している。

キネマ旬報の記事

2013年3月下旬号

巻頭特集 大島渚 全:大島映画と生きる「悦楽」

2003年5月下旬号

フロント・インタビュー:中村嘉葎雄

2002年10月下旬号

特別対談 浜田雅功×岩本仁志監督(「明日があるさ THE MOVIE)」:中村嘉葎雄 コメント

1982年2月下旬決算特別号

特別カラー・グラビア:助演男優賞 中村嘉葎雄

1981年9月上旬号

ニッポン個性派時代:第95回 中村嘉葎雄