東海道は藤川の宿はずれの鬼塚で、宮守の仁兵衛親分が殺され、その非道を止めようとした塚守りの甚兵衛も、火車の勘蔵の刃に倒された。お美代は瀕死の祖父甚兵衛から、父が由井の宿に生きていると聞くと、親子のしるしであるサイコロを持って、東海道を下った。だが、兇行現場を目撃したお美代は、勘蔵一家につけ狙われていた。そんなお美代を護衛したのが、百太郎だった。しかし勘蔵は、百太郎が親分の死を知っては面倒と賽吉と俵に命じ後を追わせた。やがて賽吉は、お美代を誘拐したが、浜松へ向う森の中で背中のお美代が蛇骨婆に変っているのを見てど胆を抜かれた。亡母の骨で作ったサイコロが魔力をもっていたのだ。お美代は、森で馬子の新太に助けられたが、勘蔵一家の連中に、発見されてしまった。新太は、腰の鉈を捨てるとお美代を連れて、八つ墓山へ逃げこんだ。ここは、刃物を持って入ると崇りのあるという伝説があるところ。追って来た一味は、墓山の妖怪におじけづいてしまった。お美代は、由井についたものの賽吉に連去られてしまった。ところがお美代のサイコロを見て賽吉の顔から血気がひいた。そして、娘の命を狙った罪深さを恥じるのだった。やがて、勘蔵一味に捕った二人を百太郎が救いに来た。だが、その時、勘蔵らは、妖怪群それに仁兵衛や甚兵衛の生首に襲われ、地獄絵そのものの殺りくを展開していた。