昭和二十三年。復員して来た末広は、新橋駅頭で、進駐軍兵士に無理矢理連行される日本人娘を救った。だが、兵士にパンチを浴せた末広は、即刻逮捕され、北海道の米軍刑務所に送られた。四ヵ月後、末広は再び故郷新橋の士地を踏んだ。しかし、家は焼けて跡かたもなく、母や妹の消息も知れなかった。その頃新橋は、北口の石津組と、南口に努力を張る華僑連合が対立していた。松鐘組の残党小松は、石津組にことごとく楯をついていたが、ある日袋叩きにあっているところを末広に助けられ、以来末広の後を離れなかった。そんな折、末広は出世前の仲間源吉とめぐり合った。そして小松を含めた三人は、石津を強迫し、客分としてもてなすという証文を書かせた。一方、石津も三人を縄張争いに、巧く利用しようと考えていた。やがて末広らは、石津組を襲った華僑連合を、退りぞけ、露店商たちから銀座の顔役と敬われるようになった。末広が、客をひく妹秋子と再会したのは、そんな折だった。末広は妹の姿に怒ったが、秋子の恋人が真面目な中国青年楊であることを知って喜んだ。そして、秋子の仲人を郡司に頼むのだった。だが、その郡司は、末広の恋人、芸者の秀駒を愛していた。末広は二人の板挾に悩んだが、秀駒に郡司との結婚を勧めるのだった。その頃石津は、華僑連合が扱う統制品を北口の露店商に卸そうと考え、連合の幹部劉や崔と同盟を結んだ。仕入値の高さに困惑する露店商を知った末広は、華僑連合を脱退した楊と直接取引出来るようはからった。しかし、この一件は、石津や劉を怒らせ、楊は石津組が故意に起した交通事故の犠牲者となった。その惨状を見た郡司は、単身石津組に殴込んだが、弾丸を浴びて他界した。相次ぐ親友の死に怒った末広は、必殺のカービン銃で、つぎつぎと悪徳やくざを葬っていったのであった。