パリの現代美術館ポンピドゥーセンターは、カラックスに白紙委任する形で展覧会を構想していたが、予算が膨らみすぎて実現不能となり、ついに開催されることはなかった。その代わりに作られたのが本作である。ポンピドゥーセンターからの問いかけは、カラックスの今いる位置を尋ねるものだったが、カラックスはそれをより根源的に捉え直し、“自分がどこから来てどこへ行くのか”という答えのない謎に、地の底から響くような低い声で口籠もりながら語ってゆく。家族について、映画について、20世紀と独裁者と子どもたちについて、死者たちについて、そして「エラン・ヴィタル(生の飛躍、生命の躍動)」(ベルクソンの言葉)について。2022年に亡くなったジャン=リュック・ゴダールの後期のエッセイ・スタイルへのオマージュではあるものの、ゴダールが思索的・分析的なのに対し、カラックスはずっと夢想的・連想的にみえる。ホームビデオから映画、音楽、写真とさまざまなジャンル、フォーマットの映像を夢の断片のようにコラージュしながら、自身のポートレイトをプライベートにダイレクトに描く。そこにはストーリーも結論もないが、至る所に見る者の心を揺さぶる声や瞬間がある。難民の子どもの遺体に重なるジョナス・メカスの声。留守電に残されたゴダールの伝言。娘のナースチャがピアノで奏でるミシェル・ルグランの「コンチェルト」のテーマ。主観ショットで捉えられた「汚れた血」のジュリエット・ビノシュ。「ポーラX」のギョーム・ドパルデューとカテリーナ・ゴルベワ。盟友だった撮影監督ジャン=イヴ・エスコフィエへの献辞。その後で、不意に訪れる驚嘆すべき素晴らしい終幕……。すべてが親密で私的で詩的なカラックスからのメッセージだ。