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福島の原発事故から8年経っても、仮設住宅で暮らす人がいることや、遠方に避難したまま帰れない人がいることは、情報としては知っていても、それ以上ではない。だが、この映画が問いかけるのは、そのような情報ではない。真正面から相対するカメラによって、こちらも直に、生活の基盤を根こそぎ奪われた人たちと向き合うことになるのだ。それは自問を促す。お前だったら、どうなのかと。それに応える言葉はない。ただ想像するしかない、地に足がつかぬ暮らしを強いられている苦しみを。
サトシ役の山﨑光が、どこにでもいそうな男の子という感じで、鄙びた土地の空気に自然に溶け込んでいるのに対し、コズエと名乗る新音が、宇宙とは言わずとも、何処か遠い国から舞い降りた雰囲気なのが生きている。『風の又三郎』だと子どもたちだけの世界だが、これは、サトシの周りの大人たち、とりわけ草彅剛演じる温泉旅館の板場を預かる父親を中心にした俗な世界をベースにしているところに工夫がある。新音の枯れ葉を撒く姿もいいが、全体にもう少し弾んだ感じが欲しい。
いま、なんで日露戦争絡みのお話なのか? まさか、日ロが、北方領土を棚上げしたまま平和条約を進めようとしていることへの後押しでもなかろうが。それはともかく、説明的な言葉や演技が眼につくわりに、人物像の描き方が稀薄で底が浅い。ソローキンは、ロシアの第一革命に加担してスパイ活動をしているというのだが、それも説明だけ。となると、あとは、日本の看護婦との恋の物語だけになる。日露戦争では、日本も太平洋戦争では無視した捕虜の保護をしたというのが唯一の教訓か。
確かに、この先生、面白い。やっていることも面白いし、描く絵も、海の波の動きにことのほか惹かれているのだろうか、それを反復するようにも見える描き方も自由で、見ているだけで楽しくなる。ところどころで学生に語りかけているが、あれなら、学生も伸び伸びと制作に向かえるだろう。そういう先生に興味を持って、カメラを向けるに到ったという前田哲監督の気持もよくわかるし、だからか、彼が先生に向かって問いかける言葉にも、絶妙な距離感があって、世界は狭くとも映画を弾ませる。
ただただ圧倒された。5時間半版をここまで切ったそうだ。語りを撮るという方法は失敗することも多々あるが、これは大正解。被取材者には言葉が武器であり、ジャーナリストは彼らのやむにやまれぬ心情を率直にカメラに収めるのみ。現政権の欺瞞に満ちた復興支援に対する糾弾、というより、ここに聴かれるのは住人同士の絆のもろさだったり、時には夫婦間の気持ちのすれ違いだったりする。空疎な五輪フィーヴァーが福島の現実を押し殺そうとしている、という監督の言葉は鋭くも重い。
クライマックス、度が過ぎてシラけた感じはあるが楽しめる。「度が過ぎ」るというのは、秘密めいた小学生の話でよかったのに大人もファンタジーの世界に巻き込むのが今一つ分からない、ということ。基本的に『風の又三郎』と『謎の転校生』タイプの物語だが、問題の転校生が絶世の美少女。なので彼女に恋する少年の初めての夢精が描かれることになったりする。この時期の少年には実は自分の肉体こそが、コントロールの利かない他者なのである。浮気性の父親との和解の場面も滑稽で良い。
実話というか史実に触発された物語、ということかな。斎藤工は真相を知っていて阿部純子をロシアに連れて行ったのだろうか、どうも分からない。編集で切ったのかな。そうしたもやもやは欠点だが、他は面白い。特に恋人たちが歳月を隔てて日記で再会するというコンセプトが秀逸だ。脚本家はこの趣向で「いける」と思ったのだろう。帝政からロシア革命へ、という時代の動向に愛媛松山市民の進取の気性が相まって、明治というより何かもっと現代的な物語を、この映画は紡ぎ出している。
絵を売って生計を立てているわけじゃなく、絵の先生、と自ら称する瀬島匠。実際、教えるのが上手な人だ、というのは見れば分かる。生徒をその気にさせちゃう。でも彼はやっぱり画家。発するオーラがケタ違いである。動かなきゃいられないのだ。彼が絵に、それもドーンと真ん中に描き込む文字が、この映画における「バラのつぼみ」と言える。またかよ、と言われます。とニコニコしているが、その謎が終盤に活きてくる。走り続けるのが鎮魂であるという印象を監督がうまく引き出した。
最初は特定の感情が強く迫ってくるので押し付けがましくも感じるが、その後に続く証言は個々の価値観での決断と迷いが言葉に集約され、それぞれの表情と共に見入ってしまう。海外の原発事故を忌避した自身が逆の立場になったことを率直に語る人、繊細で力強い女性教師の言葉が印象深い。中でも原発事故で全てを失い、やがて息子も亡くした男性の語りには圧倒。訥々と息子が蝕まれていく過程を語る様は息が詰まる。上手く語っているのではなく、キャメラの前に宿る語りの力を実感。
最近は子どもを等身大の目線でリアルに描こうとするせいか、男性監督による男子像も、女性監督による女子像も画一的な印象を持つことが多い。本作の大人の目線で作り込まれた子どもと演技には、精緻な演出を施せばリアルを上回る虚構の中の自由が生まれることを実感させる。不思議な透明感を漂わせる大人びた新音が魅力的だが、大人未満子ども以上の宙ぶらりんな時期を煩悶しながら過ごす山﨑光の虚無的な表情が良い。草彅は脇に回ると手強い存在になると予想していた通りの好演。
日本とロシアを股にかける監督に相応しい企画かつ、どちらかの国を過剰に顕彰する作りになっていないので安堵。ロケーションも良く、時代の再現ぶりやルックも凝っているだけに、現代パートが不要に思える。捕虜収容所ものとして正面からドラマを作ることが出来る材料が揃っているだけに、終盤の怒濤の展開がモノローグで処理されてしまうのは拍子抜け。「孤狼の血」に続いて阿部純子が魅力的なこともあり、全部とは言わないまでもサスペンス豊かなメロドラマになり得たはず。
ちょっと失礼に思えるほどツッコミを入れていく前田哲と、天然ボケを炸裂させる瀬島匠のコンビが良い味を出している。2人の関係性が出来上がった上でカメラが回り始めるので、ハチャメチャな個性を妙に持ち上げることもない。意外に先生としてはマトモ(失礼!)なところも嫌味なく映し出され、こんな先生に教わりたいと思わせてくれる。後半のウエットな展開も重くなりすぎない。ただ、作品を見せる上では監督が撮影も兼ねるのではなく、カメラマンが必要だったのではないか。