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このドキュメンタリーの主人公である髭の濃い島津冬樹氏の行動に感嘆した。彼が段ボールの魅力に憑かれて世界中を探して歩く、といっても、趣味が昂じれば、それもありかぐらいにしか思わなかったし、段ボールから財布を作り出すと聞いても、とくに驚きはなかった。だが、彼が、徳島のジャガイモを入れたダンボールに惹かれてから取った行動には、目を見張った。そして、日本国内と同じ軽やかな身のこなしでアメリカや中国でワークショップをやる姿は、見ているだけで楽しくなる。
女子高生と、彼女を取りまく男子たちの他愛のない話がだらだらと続く。イヤ、これは、だらだら続くから、その他愛のなさが、際立ってしまうのかもしれない。だとすれば、これを20分余り短縮すれば、四人組の男子たちが真剣に取り組んでいるというバスケの試合場面も、ヒロインの美月(土屋太鳳)が一所懸命に書いて当選した作文コンクールの発表シーンも、それなりにメリハリ良く映ったかもしれない。この際だから、話を詰め込んでも90分で収めた往年の映画を見直してほしい。
ミスコンテストに応募した女性たちを追ったドキュメンタリー。彼女たちをはじめ、ミスコンOG、主催者、審査委員などへのインタビューが中心で、後半は、コンテストで選ばれた人たちの活動にも焦点が当てられるのだが、かろうじて記憶に残るのは、何か答えようとしながら適当な言葉が見つからず考えこむミスの姿ぐらい。インタビュー中心のドキュメンタリーでも、人物の存在が丸ごと浮かび上がってくる作品はあるのだが、これは空っぽ。それは、対象の問題というよりは撮る側の問題だろう。
五社英雄からアクを抜いたような感じ。幕末の新撰組がらみの話としては、芹澤鴨を単純な乱暴者ではなく、屈折を抱えた男として描いたところを買う。ま、これは原作由来のことではあろうが。ただ、それを生かしたのは、芹澤と腐れ縁のような関係を続けるお梅に扮した田畑智子の好演にもよる。土方才蔵の陰謀家としての側面を強調したのはいいが、演じた溝端淳平に翳りが乏しい。そして、本当の主役である糸里(藤野涼子)をはじめとする女たちが、決めゼリフを吐くわりに迫力を欠く。
この映画を見るとスーパーの片隅にどさっと置かれている段ボールをつい物色したくなる。そういう効能はある。段ボールアーティスト島津冬樹の生き方を通してリサイクルの上を行くアップサイクルの理念を啓蒙しようというコンセプト。ゴミじゃなくそれを宝物に生まれ変わらせるのがこの言葉の意味だそうだ。でも使わなかった部分は結局捨てるのではないだろうか。どうなんだろう。理念は分かるが内実は不明という政党の公約みたいな映画だが、島津のキャラが可笑しいので評価できる。
主人公の女の子は多分アスペルガー症候群だと考えられる。まず注意力の欠如(大事な時にコケる)。KY(突然大声を出す)。被害妄想(自分がクラスでつまはじきにされていると勝手に思っている)。特殊能力の開花(作文コンクール堂々入賞)。そして何より思い込みの極端さ(何と親友の性別をずっと間違えている)。アスペルガーは病気じゃないが、周囲との軋轢を引き起こしやすいのは確かだ。このお嬢さんの場合、イケメン軍団の温かさのおかげで悲劇が回避され、それはとても良かった。
美人コンテストの記録映画ってどうよ、と普通の人間なら思うであろう。でも正直、裏側がこういうことになってるとは知らなんだ。いや私が裏だ表だと勝手に言ってるだけで、彼女達にはこうした勉強会や奉仕団みたいな活動こそが「ミス」の意義なのだ。一見の価値あり。もっとも、これは公式的な活動報告を兼ねており、そういう意味では本音を抑えた建前的な作品。悪い意味でなくPR映画ということか。こうして眺めると皆さん、普通の女の子でいらっしゃる。そりゃそうか、素人だもん。
新選組の知識が最低限あれば中身は理解できる。芹澤鴨が粛清される、と書いても従ってネタバレじゃない。むしろどう殺されるかクライマックスが楽しみになる。原作は知らないがこの脚本は秀逸。芹澤局長の暴挙をいさめる役目を負って当初現れた土方副長の真の企みがじわじわと観客にも読めてくるあたりが怖い。糸里を利用して芹澤に取り入ろうとする土方の思惑に、彼女が屈辱を覚える正座場面の堂々たる視線演出は見事の一語。ヒッチコック「三十九夜」って感じもちょっとあるかな。
元電通アートディレクターの段ボールアーティストを通じた電通イメージ回復映画に見えてしまうのは穿ち過ぎとしても、それほど彼が愛すべき変人ぶりを発揮してくれる。この異物への愛は、奇抜さを狙ったわけでも過剰包装へのメッセージでもなく、好きを貫き通したものなので嫌味がない。デザインに惚れ込んだ段ボールの出生を追う旅でも山下清の如く気に入った相手にしか段ボール財布を贈らないところも良く、押しつけがましくならない。キネ旬ロゴ入りの段ボールありませんかね?
原作がそうだからと土屋に高1の役を演らせてしまうところに脚色不在を実感させるが、彼女のから元気な芝居に辟易してきた身としては影のある今回の役はしっくりくる。男連中の芝居が低温すぎるので土屋一人で映画を背負い、抑制しつつ躍動をもたらす。スクールカースト最上位のバスケ部イケメン男子のLINEグループに入れてもらうことで土屋が成り上がる下剋上ドラマとしては面白いはずだが、本音の世界は隠匿されている。コートと観覧席の視線の交錯によるドラマが欲しかった。
事前に何を撮るかを申請し、モデルに話しかけることも禁じられた不自由な撮影だったようだが、アイドルでも事情は変わるまい。実際、インタビューは誰もが装飾された公式発言をするだけで空疎極まりない。ふと見せる仕草や表情、置かれた物に表層から読み取れないものを探るが何もない。わずかに高校生の参加者がレッスン中や舞台上の気張った表情とは違う等身大の表情をインタビューで見せた程度。極上の食材が調理場に並んでも、火も香辛料も使えないと作れるものは限られる。
芹沢鴨暗殺事件を女たちの視点から描くことで、MeToo時代に相応しい時代劇になっている。眼差しの強さがこれまでも印象的だった藤野が今回も眼で際立つ女優の映画になっていて安堵。同じ作者でも「壬生義士伝」に比べて条件の厳しさはうかがえるが、「散り椿」「斬、」とオールロケ時代劇がメジャー、インディペンデント共に主流になってくると本作には撮影所の底力を感じさせる。テレビ時代劇も減った今、撮影所を活用したこうした規模の時代劇に可能性が残されているはず。