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カズキ役の加藤諒の眼鏡の中の目玉の動きには、ビックリした。あれを見たら、ご託を並べるサラリーマンに苛立つサイケの高杉真宙だって、笑ってしまうだろう。ホント、不思議な役者だ。役者といえば、半グレ集団の頭に扮するMIYAVIも、その佇まいにただならぬ雰囲気を漂わせていたが、そこにとどまらず、3人組相手に一人で闘うときの動きがいい。話も、終盤での捻りも含め、よく出来ているが、3人が河原で悩む場面は、もう少し短く切り上げて欲しかった。感動シーンは控えめに。
最近は、時代劇といえば、コミックに時代衣裳を着せただけのものか、黒澤映画の稀薄な後追いのようなものしかないなかで、本作は、シンプルな物語構造のなかに、時代劇の根幹にありつつ、かつて誰も問うたことのない刀というものの存在論を顕在化させると同時に、それを通して現代における武器の問題性にも踏み込んでいるのだ。しかも、池松壮亮と蒼井優などのベテランはもとより、新人の前田隆成からも、最良の表情を引き出して。むろん俳優・塚本晋也も渋くていいのだが。
これを見て、肥薩おれんじ鉄道に乗りたくなった。同監督の『旅立ちの島唄~十五の春』も良かったが、それを超えている。義父のもとに、亡夫の連れ子と共に訪れた晶(有村架純)が、どこか気負い込んだ様子なのが気になったが、それが、彼女が留守電で伝えた夫の死を義父が聞いていなかったためと明かす演出をはじめ、子ども(帰山竜成)の「親」たろうとする晶の想いが、子どもの想いとずれるとこころなども、感情の流れが自然に描かれている。晶の迷いを寡黙に受け止める國村隼の義父もいい。
筒井真理子の昌子がコワイ! 演歌歌手のヒロシ(青柳翔)を椅子に縛り付け、歌を作らせるときの姿は、何もせずして狂気を漂わす。それに先立つ、オバサンたちがペンライトを振りながらヒロシ! と唱和する舞台風景も妙に生々しくていい。また、ムショ帰りのテツオ(鈴木伸之)が、老婆を乗せた車椅子を押しながらの、やくざ相手のアクションもなかなか。対して、クライマックスの公会堂での処理が些かザツ。チンピラ二人、なんのために拳銃をぶっ放したのか、わからん。バカかお前ら。
詳細は書けないが主人公三人とそれに敵対する悪役集団、両方、根っこは一緒、という設定が成功している。実際「この人達は生き別れた兄弟かも」と思ってみていたがそうではなかった。単なる私の妄想だからネタバレではない。気になるのは、彼らを同じ穴のムジナみたいに非難する論調が現れないかという点。そこにギリギリまで踏み込んでるから面白いのだよ。またトリオのキャラと集団での機能を対応させている点も良い。ちゃんと犯罪映画になっている。入江の世界観と原作がマッチ。
塚本はあくまで個的な切迫を突き詰めた果てに出現する時代状況全体を描く時に才能を発揮する。ここでは幕末のド田舎にあってほんの数日、都への出発が延びたそれだけのことで世界が変わってしまった数人の男女が主人公。優れた密室劇になりそうな話だが、クライマックスからラストへ、突然大自然が世界の困難そのもののように立ちはだかる、この転調が素晴らしい。「野火」もこんな感じだったな。塚本扮する武士は野卑さも多少あって適役だが池松の方は上品、ノーブル過ぎないかな。
このシリーズ、思いがけないローカル線が舞台になるのが何よりうれしい。今回は肥薩おれんじ鉄道、絶景観光や食堂列車など攻めの姿勢が見られる路線である。我が故郷、秘境駅の宝庫飯田線をつい思い出してしまう。見方によっては愚劣きわまりない半成人式というイヴェントを、地元に配慮しつつもきっちり愚劣なものとして描いてくれたので星を足した。やるな、監督。家族になるのも楽じゃないというありがちなコンセプトを「主人公三人が赤の他人」の極限状況にしたのも成功の要因。
噂には聞いたことがあるものの「劇団エグザイル」の仕事を映画で初めて見る。ユニット作品というのは当然まとまりの良さが前提。この作品では三つの全く異なる話が近い場所で同時進行する趣向。近さと異なりのブレンド具合が「因果応報」のコンセプトの下、絶妙なバランスを見せる。監督に疾走系スタイル映画の巨匠SABUを迎えたのも利いており、今回も存分に狭いところを駆け抜けていますね。どうやらイケメン軍団だが笑いを演技で取る、というのもこのユニットの特徴みたいだ。
東南アジアや山奥に行くよりも入江映画は「ビジランテ」で実証されたようにロードサイドの風景を前にすると躍動する。犯罪者の上がりを掠め盗る主人公たちは「893愚連隊」の現代版とでも言うべき若者だけに、貧困や境遇を愚痴ることはあっても悲痛に叫ぶことなくネチョネチョ生きる。主人公たちと一緒に暮らすことになる女児の扱いがドライなのは良いが、逆に劇的盛り上がりに欠けて淡白になりすぎた感あり。パタリロ役と同じく変顔を自在に駆使する加藤諒の異物ぶりを愉しむ。
鉄の生成から始まる鉄男ならぬ刀男の物語は、「野火」の銃から刀へと遡り、戦争の根源に目を向ける。刀を人に振り降ろすことで肉体が裂けて苦悶を与え、死が急速に接近してくる瞬間を塚本映画らしい造形で映し出し、自然と刀の間に置かれた人の虚無的な存在が描かれる。テーマが先走りせず、塚本時代劇への期待は充分満たされるが、次なる時代劇も観たくなる。「七人の侍」の勘兵衛を思わせる役者塚本の存在感は「シン・ゴジラ」といい、今や志村喬の後継者と言わねばなるまい。
女性運転士の設定とロケ地が先行したであろうことは作劇に無理が生じていることからも窺える(殊に半成人式という無神経な儀式への異議申し立ては良いが、有村の突飛な行動に疑問が残る)。しかし、「旅立ちの島唄」で才気を感じさせた吉田康弘だけあって叙情性豊かな演出で鉄道と有村を輝かせる。義理の息子を引き取った未亡人が運転士になって働かざるを得なくなる不自由をまとう女性の物語だが、有村の柔らかな雰囲気が悲壮感をかき消し、運転する姿は寓話的な魅力も醸し出す。
3つの挿話が重なり合う疾走型の本作はSABUの初期作を思わせる。冒頭の青柳が演じる演歌歌手とファンとのやり取りが長すぎるが、堂々たる怪演ぶりを見せてくれるので引き伸ばせてしまう。妄執的なファンを演じる筒井真理子が素晴らしい。青柳を自宅に監禁して自分のための歌を作らせるが、「ミザリー」にしかならない設定を狂気と笑いの境界を漂いながら更新させる。エグザイル映画は中学生的倫理感が軸になるので仕方ないが、本作も因果応報として終わってしまうのが惜しい。