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ヒロインを演じる行平あい佳がいい。黙って横を向いているときは硬い印象を受けるが、相手に向かってなに? と問うように開かれた目つきが無防備な感じでエロティックだ。毎熊克哉演じる男は、そこにつけ込んで、彼女を調教していくわけだが、その実、彼女の無防備な眼差しに引き込まれて、彼女の欲望の虜になったのではないか。そんな男に社会的制裁の代わりに、さらに妻を調教するよう命じた夫(三浦誠己)にしても、自分一人では到底彼女を制御しきれないが故にそうしたと見える。
大杉漣のプロデュース・主演作であり、また遺作となった映画である。なぜ、彼がこのような題材を選んだのかは知る由もない。ただ、密室で人と人が一対一で向き合い、言葉を交わすということに、映画や演劇のプリミティブなありようを具現しようとしたのかもしれない。しかも相手は、死刑を宣告された存在である。そこには、失語者のような者もいれば、やたら饒舌な者もいる。それにどう対応していくか、大杉漣は、自身の俳優としての原点を見定め、次に踏み出そうとしていたように思う。
全篇にわたって、さまざまなイメージが散乱する。その意味では、アート映画といってもいいのだが、一応、物語もある。パリ在住の舞踏家が、ガラス店の女主人と親しくなり、彼女を追って東京に行く。そこで、彼の亡くなった恋人の夢を追って二人で旅をし、東北を思わせる土地で奇妙な老人と孫娘に出会う、というような。途中、大道寺将司の句が出てきたりして、オッと思わせるのだが、パリの部分が冗長なのと、散乱するイメージ相互の運動が、いまひとつ見えてこないのが残念。
2011年3月11日の震災で福島第一原発は破壊され、放射性物質が流出した。それを知ったドイツでは、日本と異なり、政策として脱原発に舵を切る一方、市民レベルで、自然エネルギーへの転換を実現する活動が進められてきた。本作は、その市民による活動を当事者のインタビューを通じて紹介していく。それは、日本でも、市民の自立的な活動によってエネルギー転換が可能であることを訴えているという意味で、きわめて教育的なドキュメンタリーなのだが、映画としての力は些か弱い。
映画を見終わって、改めて題名を読むとやたらとおかしい。事前に考えていたことと完全に逆の意味になっているからだ。そもそも神父による冒頭の結婚の誓いのリハーサルからして妙だ。主人公も思わず聞き返すのだが、悪魔の誓いみたいに取れる文言なのだ。この映画の特徴は、簡単な言葉の意味のはらむ罠的構造に脚本家が鋭敏なところである。主人と奴隷が誰と誰だったのか、観客はやがて分からなくなってしまう。調教される女がセックス中、監視カメラに送ってよこす視線が効果的。
教誨師という存在は映画「絞死刑」で見たことがあったが、処刑の場でなくこういう日常業務を追うのは珍しい。オムニバスだと思っていたらあっさり裏切られ、しかしその裏切られ方自体が魅惑的な体験となっている。彼を使って処刑の延期を画策する者、想像上の看守をこしらえ彼に報告する者など、キャラクター一人一人に物語的仕掛けが凝らされ、それらが会話主体でありながらふっと映像的に昇華されるのが圧巻。スタンダードサイズが効いているが、途中でワイド画面になるのも面白い。
昔「フリークス」という映画を見たら上半身だけの人間が出てきた。この映画に出てくるシャルロットもそう。実際は違うけど。芸人の彼女が何故「黒いオルフェ」の主題歌を歌うのか、とか微妙に分からないことも多いが、東アジア反日武装戦線のメンバーで昨年獄中死した大道寺将司の俳句が詠まれるのは何となく納得。主人公にからむ二人の日本人女性の顔が途中からごっちゃになってしまい苦しんだのだが、意図的な処理だった。要するに我々はフリークスとして生きよ、という主題だね。
広告代理店主導のキャンペーンが功を奏し、原子力が未来志向のクリーンなエネルギーだと刷り込まれている我が国。原子力に罪はなく、使う人の能力次第だと思わされている。本当にそうか。福島の原発事故についても、天災がらみだから仕方がないということになってしまったようだが、定期的に津波が襲ってくる場所に平気で原発を置くずさんさは、過去を学ばなかった「未来志向」の成せる業としか言いようがない。実は私はドイツが嫌いなのだが、そういう人にこそ見せたい映画になった。
待たされすぎた感もある城定のメジャー進出は、ロマンもポルノもある上質なエロスへの昇華が精彩を放つ。SM・調教が男目線の古めかしい価値観でしか描けないのは作り手の怠慢にすぎないとばかりに、現代に相応しい性の解放を繊細に描いてみせる。若松プロの新作で小水一男を演じた毎熊が、寺島まゆみの娘と交わるとはポルノ映画の悦楽交差点である。「聖なるもの」で映画音楽と抜群の相性を見せたボンジュール鈴木のカバー曲も際立ち、城定映画第2章の始まりを祝すかのようだ。
死刑囚バイプレーヤーズと、主役として受けに徹する大杉の名演を見るだけで満足。スタンダードとビスタを使い分けたり幽霊を出したりするが、映像にはどうにも荘重さが不足。そうしたマイナスを芝居でプラスに転じさせ、悔悟、感動、涙といった要素を排除し、死刑囚たちが教誨師と過ごす暇つぶしだけで成立させてしまう。妙にリアルな囚人顔を作る古舘も良いが、映画初出演の玉置玲央の繊細で奔放な演技に驚く。惜しまれつつ去っていく俳優と、未知の俳優の登場に哀しみつつ喜ぶ。
武智鉄二から吉田喜重に寺山などを次々に想起しつつ、作者自身の血肉となった表現だけに古めかしさや気恥ずかしさを感じず。73歳の岩名監督による〈ノスタルの映画〉は大林・佐々木昭一郎の近作にも通じる美しい暴走だ。パリの日本人パフォーマーと日本女性の挿話は和洋折衷の魅力と、カット尻に余韻を残さずに次の画を繋げていく居心地の悪さが奇妙に惹かれる。演技と声の異物的活用も良い。後半の日本篇は福島への観念的な捉え方や万引きなど既視感が強まりすぎて乗り切れず。
日独の脱原発をめぐる歩みが大きな差異を生じさせた点に着目し、ドイツ戦後史と原発政策を追う。日本戦後史を脳裏に浮かべながら観ていたが、ナチ残党が政府中枢に残る戦後の歩みは、A級戦犯被疑者が長らく首相をやっていた我が国と大差ない。決定的な差異は68年が〈学生運動と原発の年〉だったことだろう。真面目な作りで見入ったものの、九電が太陽光発電の供給過多で停止請求をしようかという日本の均衡の悪い現実を目の前にすると、高い理想の先の現実を観たくなる。