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宇都宮の餃子に、子連れ離婚の女に、壁にぶつかったプロゴルファーの三題噺。離婚話の途中で切れて、亭主の顔を殴った勢いで、故郷の宇都宮に帰ってくる足立梨花扮するヒロインの跳ね方は悪くないが、肝腎の餃子作りが、見た目だけで終始するのが、なんとも物足りない。いや、餃子を焼くところは何度も出てくるよ。だけど、それ以前の、材料の選択や配合などがスルーされるので、どんな工夫がされているのか、わからない。これじゃ、タイトルが目を引いただけで中身なし、で終わる。
まず、舞台になるこの店の佇まいが素晴らしい(美術=磯見俊裕)。そして、一家の要となるアボジに扮するキム・サンホとオモニを演じるイ・ジョンウンが圧倒的な存在感を見せる。とくに、キム・サンホが、日本兵として片腕を失い、帰還する機会を逸して、この地で生きてきたことを「働いた、働いた」と語るときの顔には、彼自身は知らぬであろう在日の戦後が鮮やかに浮かび上がる。大阪万博前後の在日の一家の葛藤を描きながら、ある者は北へ、ある者は南へと別れる結末も心に残る。
撮影現場の右往左往が好きなんだろうな、この監督。最初のシーンで監督役を登場させ、撮影風景と見せながら、表にゾンビが出たあたりから、スプラッター・ホラーに持ち込む手順はなかなか。反面、草むらでの追っかけでは、撮影の失敗と見えるショットがあるし、追われるヒロイン役が屋上で泣き叫ぶショットなど長すぎると思わせもする。ところが、後半、それらが撮影手順の狂いで、そうなったと見せられるので、思わず笑うのだが、これをシリアスなドラマを軸にやるのをぜひ観たい。
「名前を偽り、それまでと別な場所で生きるということには、それ以前の人生から逃れるという負の要因が考えられるが、津田寬治演じる主人公には、それだけでなく、別人になること自体に喜びを感じるという姿勢が窺えるものの、その欲望のありようが、いまひとつ見えにくい。というのも、名前や職業を偽るうえでの彼の振舞いには脇の甘い、かなりいい加減な点が見受けられるからだ。その辺を詰めないと薄っぺらな人間に見えてしまうが、父を求める少女(駒井蓮)の登場で少し救われる。
宇都宮だから餃子だという御当地的態度は正しい。また主演が絶対の御ひいき足立梨花だから十分楽しめるものの、客観的にそれだけでは評価は難しい。何といっても話が薄い。餃子篇とゴルフ篇であぶはち取らずになった観がある。もっとも企画のコンセプトは二つを融合させるところにあったわけだが、ミスマッチのおかしさ狙いにしてはありきたりな出会いに終始する。男をいい人にし過ぎて喜劇風味が薄れたのではないか。それと餃子が普通。もっとデタラメな餃子を見せてほしかったです。
日韓混成キャストが効果的でセットも大がかり。練られた物語で大いに楽しめるのだが、舞台の方がさらにいいんじゃないのか、と思わせ満点とはならず。とはいえ三姉妹にトップレベルの女優陣を揃えるのが映画ならでは。みんな原作に惚れこんだのだと分かる。代表作となった。気が強い次女の結婚生活のトラブルが話を進める作りが上手く、これだけで十分に思う。つまり長男のいじめ問題が舌足らずな感じ。これは私が日本人だからそう思うのかな。調理場の仕切りの木の扉がユーモラス。
カメラのレンズについた血をぬぐう布が見えたので「後で何かあるな」とは思ったのだが、ここまで仕掛け満載とは。さらに前後半でキャラが変わっちゃう人もいて、それがまた過剰なまでに合理的。そう、これは終わったところからまた始まる映画。どうしてそうなるかは見ていただくしかないわけだが、アクシデントとアドリブが、綿密なはずだった準備をあっさりほったらかしにして勝手に展開していく様はアッパレと言うべし。ただ感受性が鈍い観客には理解できないかもしれない。
地味なタイトルで損しているが、実際これしかない。社会から存在を抹消するために様々な偽名を使いこなす中年男。そこに謎の女子高生が出現し、話が男女それぞれの二重構造に変わる。同じ時間をもう一人の側からたどり直す技法も冴え、謎の解決も二重になる、つまり二人どちらにも秘密が出来るのが面白い。彼女の所属する演劇部のエピソードは妙にしつこく違和感あり。だが、そのリハーサル戯曲が清水邦夫作品だったりするあたりが高踏的というか不思議な印象を与え、大成功。
何でもこなせるのが災いしてか、酷い映画にばかり出演させられているのが気の毒になる足立だが、地域振興の餃子映画でも同様。閉店した父の餃子店を出戻りの足立が引き継ぐが、最初からそこそこ作ることが出来てしまうので、そこから改良に励むなら味や食感、匂いの違いを映像でどう見せるかに腐心してもらいたかった。ラブコメ部分は足立の愛嬌で見ていられるが、感情を全部口に出してしまうので閉口。老人を嬉々として怪演し、ドライに徹する浅野和之が映画の支柱になっている。
舞台版はさぞ面白いだろうなと思わせる点では成功している。結婚・いじめの問題が一家を悩ませるが描写は平板で、息子の死という大きな事件も一挿話に収斂されてしまう。見事なスタジオセットが映画的な空間として活用されたとは言い難い。頻繁に登場する飛行機の轟音は意匠に留まり、会話が遮られるわけでも、よど号の話題が出るわけでもない。在日コリアンの地域社会は映されていても、その外の世界が感じられない。大泉が悪目立ちせずに絶妙の存在感で振る舞うあたりは感心。
パロディは原典に匹敵する熱量が必要とされると言いつつ、そう簡単にいかないのが常だが本作は違う。1カットでゾンビ映画が展開する冒頭37分は手法が言い訳になっておらず、多少の瑕瑾はあれども感嘆。中盤のメイキングパートは落ちると思っていると、これがショー・マスト・ゴー・オンを成立させるために不可欠な描写だったのかと気付かされるラスト30分。冒頭の〈瑕瑾〉も全て計算尽くしだった! 不自由さを課して壮大な自由を獲得してみせたとんでもない才人監督の登場である。
津田が他人の前では虚栄心を捨てられない姿を、突っ張りつつも寂寥感を漂わせて好演。ただ、それぞれの名前が冠せられた三部構成といい、ヒロインの舞台稽古や終盤の処理といい、小説や演劇ならこのまま成立するだろうが、映画の表現へと昇華されているとは思えず。終盤で作品の構造を台詞で全部説明している間、画面が説明のための待機時間にしかならない。全篇を彩る郊外の風景も、充分に映画的な風景のはずだが際立たず。〈なりすまし〉は映画に相応しい主題だけにもどかしい。