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男の子のあとを追う女の子の画など、子どもの撮り方に感心する。また、いつにもまして飄々としたリリー・フランキーの佇まいにも。だが、なによりも胸をうつのは、警察の取調室で、子どもを産んだら母親になるのですか、と問いかけた安藤サクラが、その問いの意味を理解できない婦人警官の常識を振りかざした反問を前にして見せる、所詮、通じないのだという絶望にも似た表情である。ついで、死体遺棄の罪を独りでかぶった彼女が、面会に来たリリーと子どもに見せる菩薩のような笑顔。
ピアノの調律の仕方を具体的に見せたのはいい。ただ、最初に三浦友和が、学校のピアノを調律するときとか、山𥔎賢人が、両親を亡くして引きこもっている男のピアノを調律するとき、ピアノに当たる光が暗すぎるのが気になる。画面効果を狙った照明だろうが、あんなに暗くては調律の手許が狂うのではないかと心配になる。物語のベースが、ピアノの調律に目覚めた少年の成長譚にあるのは承知しているが、森を写したショットといい、ムード優先の画調が、本筋とずれているのではないか。
中田監督が、原作に惚れて映画化しただけに、全体に丁寧に作られてはいる。ただ、それでいながら、いまひとつ、こちらの心に響かないのは、なぜなのか? 団塊世代(主人公の意識はそう思わせる)への挽歌なら、こんなものかと思いつつも、それ以後の世代の退職風景としては、あまりにも型通りで面白みがない。これは、演出や俳優の演技にも関わることだと思うが、主人公夫婦の行状から、型を逸脱する身体性が感じられないのだ。もっとも、ラグビーの試合は、見て楽しかったが。
「おくりびと」や「おみおくり」と異なり、こちらは葬儀社の話。という次第で、次々と葬儀が出てくるが、それにバラエティがあるのがいい。とくに、柾木玲弥の新人が司会をする貧しい葬儀。最低ランクの棺なんて、身につまされる! ただ、説明不足というかわからないところがある。とくに社長の死因。救急車で運ばれて即、死ぬのだが、病因は何か? 心臓発作か何かかもしれぬが、遺書も含め、それらしい予兆や情報が皆無なので、まさか自殺じゃあるまいな、などと勘ぐらせるのはマズい!
隅々までネタバレ厳禁で余計なことは書けない。そもそもタイトルからして仕掛けてるわけだし。書けるのは、監督が原案と脚本と編集を兼ねていることからくる用意周到さと風通しの良さである。一人一人のキャラに施された繊細な設定が効いており、リリーが長いこと性的不能だったと分かる細部とか実に面白い。安藤サクラもヘンに色っぽかったりする。それに樹木の屈折した家庭環境にも凄みがある。ドップラー効果を駆使した細野晴臣の音楽も不安感とユーモアを同時に感じさせ秀逸だ。
詩的なタイトルはピアノのことだが、森という言葉にさらに含蓄あり。その意味は映画を見て御確認下さい。新人調律師の物語で、主人公がこの仕事を志すきっかけになる体育館の場面の音響効果は良い。ただキャラの設定は甘い。先輩光石研がいつの間にかいい人になっちゃうのも妙だし、三浦友和が何故業界で評価されているのか説明がない。でもピアニスト姉妹の対照的な性格に知らず知らずのうちに振り回されるシチュエーションが良く、この部分をもっと押しても良かったのではないか。
笑いとシリアスさが互いを邪魔しており評価できない。特に第二の人生、思いがけない社長業に挫折した主人公を取り巻く周囲の人たちの態度が悪過ぎる。借金を全部かぶってくれた社長を侮辱する若い社員二人、私の財産を勝手に処分したと言い放つ妻。この人達どうかしちゃったのではないか。原作がこうなのか、何か会社とか結婚とか分かっていない人が無理に作った設定だと思う。ソツコンという言葉の意味を普及させる目的があるみたいだが、これなら離婚してやって欲しいと思ったな。
これからの世の中、葬式ばっかりになるわけだから、葬儀屋さんの仕事をちゃんと描く企画は望ましいが、常識が通じない物語では評価しようがない。どうして葬儀屋さんの新入社員が見も知らぬ故人のためのスピーチを引き受けるのでしょうか。それに主人公とこのチャラ青年の因縁話も取ってつけた感が強い。怒りに任せて葬儀をぶち壊しかねない振る舞いに及ぶのも困ったもの。主人公の家庭事情も支離滅裂で、奥さんの一件も説得力なし。困った時に人を殺す脚本(原作かな)にも大弱り。
大島渚「少年」の現代版だが、是枝作品の得意技が駆使された作りだけに家族の描写は当然際立つ。撮影に近藤龍人を招くことでマンネリを回避する戦略も成功している。女優陣が圧倒的で殊に安藤サクラが素晴らしい。だが、行方不明と報じられている幼女を平気で外に連れ出すなど、寓意性に依拠しすぎているのが引っかかる。リリー夫婦が保守的な発言や民族差別を決して口にしないところに作者の理想を見るが、電車に乗って海へ行く場面の如き幻想性が更に必要だったのではないか。
ピアノ調律師の話で北国を舞台に季節をまたぎつつ音と自然が一体化して描かれるとなると、偏愛する佐々木昭一郎の「四季・ユートピアノ」が浮かんでしまう。調律師の耳に響く音の世界を圧倒的な映像詩で描いた前例と比較すれば、本作の主人公は音に鈍感で繊細さの欠片もない。調律に失敗する挿話も単発的で引きずることもなければ葛藤も生じさせない。主人公が先輩の言葉に一々メモを取り、同じ話を復唱させて書く憶えの悪さが象徴するように受け身だけの人物で魅力が薄い。
映画会社のカラーが失われて久しいが、〈定年は迎えたけれど〉とでも名付けたくなる秀作を東映で撮ってしまう日活出身の中田秀夫は、人物をどう配置して動かすか卓越した才を見せて瞠目させる。定年後の夫婦の危機を軸に舘が広末に翻弄されたり社長に祭り上げられたりと破天荒な展開を手際よく捌く職人的技倆を堪能。老いを演じるには身体能力が欠かせないことを体現して画面を躍動させた舘にとっては新たな代表作だろう。それにしても、こんな監督を松竹は放っておいていいのか。
コロッケが持ち味の表情も動きも止めてシリアスな演技派に転向するなんて森繁病かと心配になるが、感情を露わにできない抑圧が役と合致して好演。元々皺一つから自在に動かせる芸達者な存在だけに、動きを制限されるとその中で目一杯見せようとするだけに演技が引き立つ。「おくりびと」以降の葬儀屋映画のパターンに収まった作りとはいえ、過剰に挿話を盛り込もうとせず、主人公自身の抱える問題と上手く対比させながら型破りの新人社員との因縁も絡ませる作劇も無駄なく好感。