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律儀なのに感心した。何がって? 行為の途中で、ちゃんとコンドームを取り出して見せるばかりか、その結果まで見せているのだから。これは、ロマン・ポルノにもついぞなかったことだ。その意味で、この映画は、ロマン・ポルノに対する一種の批評ともいえるだろう。行為があれば、その結果があるというリアリズムにおいて。物語的にも、妙に心理的なドラマなど設定せず、淡々と展開して、娼年は明日もまた同じ事を繰り返すだろうと思わせる作りも悪くない。松坂桃李の健闘もむろん!
ゴメンねーという少女たちの声が耳に残る。ゴメンと謝りながら殺すのが、男子ならぬ女子の心根か。よくわからないけど。放課後の学園という閉じられた世界が、同時に、少女の心的世界でもあるということなのだろうが、その内と外のメビウス的ともいえる連関がいまひとつはっきりしない。それは、刀を振るってのアクションに変化が乏しく、平板に見えてしまうからでもある。市川美織の頼りなさげな表情が、どこで変わるかに注目していればいいのかもしれないが、それにしては長すぎる。
網にあげられた魚は市場に卸され、魚屋に行く。魚屋のおかみさんは、それを車に積んで、町の人に売りあるく。昔は、よく見かけた光景だ。猫が魚の臓物を喰うのも、昔は眼をとめるほどのことではなかったが、最近はついぞ見ない。それが、この港町では当たり前のこととしてある。突堤近くには、よく喋り歩き回る老婆がいて、対照的に寡黙な漁師がいる。そして、ここでも空き家が増えているという。それを淡々と写すカメラ。では何故、この場所なのかという問いは、禁じられている。
監督の岩切一空は、画面に映った顔、姿形が面白いから、本作の男優賞にとどまらず、役者としても生きていけそう。謎の美少女・南美櫻は、いかにもそれらしい表情そのままなのがわかりやすく、それだけに稀薄。対して、小川紗良は、物語の中にいながら、常に外の空気を感じさせて映画の枠を拡げている。監督は、彼女のそんなところに自身の映画作りに対する批評をこめたと思うが、それは、本来、着地点ではなく出発点なのではないか。最後の自主映画に潔く見切りをつけ、次を目指すべし。
これには驚いた。松坂桃李で完全にAVをやろうというコンセプト。もっともさすがに本番ではない。当然か。ヒロインの名前も昔いたAV嬢から取られており、石田衣良はファンだったに違いない。物語としては、無色透明な男性(男優というか)に対して、女が自分の好みや嗜好を付与していくというもの。放尿姿を見られたいインテリ嬢とか実にいい設定である。あんたのセックスは五千円、と言い放つヒロインもそこに五千円上乗せする謎の美少女も結構重要な真実に触れている気がする。
男は後ろ姿でワンシーンだけ出現。これが実は主人公を追い込む強迫観念なのだがこれ以上書けない。出てくる若い娘たちの顔が完全には区別できず苦しむ。意図的な演出か。原作舞台のことは知らなかったものの、廃墟みたいな校舎のロケーションが映画的で大いに得をした。監督は耽美的な少女趣味に陥らず、正確なカット割りと細かい編集でハードボイルドに物語を進めている。最近こういう正統派は珍しい。話は類型的でも飽きる暇がない。もっとまともな映画を撮らせたい監督である。
この港町が選ばれた理由については資料を読めば分かるが、映画自体はそういう件を語らない。その結果、金にはならない漁を淡々と続ける老人と、地域から色々と疎外されている老女、二人の姿がくっきりと浮かび上がる構成。女は明らかに少しばかり精神的にヘンなのだが、最初どう対処するか迷っていた撮影者(とその奥さん)も腹を据えて彼女につきあい(そう解釈されるよう編集している)、田舎町の奇妙な闇のようなものに触れてしまうことに。町というか彼女の心の闇なのだろうな。
出てくる女がいい。他はダメ。定型を分かっていない人が定型を外したって仕方がないでしょ。意味不明になるだけだ。真っ先に現れる先輩が鍵だとは分かるが、最後までちゃんと描いてほしい。色々オマージュなんだよね、とは理解したがそれがどうした、という感じもある。ただ画面が口当たり良く、主観映像のグラフィック・センスも優良。場面場面だけで楽しむように作られておりネット動画とかで流すのに向いている。そういうタイプの映画というのはジャンルとしても存在するから。
三浦大輔の演劇演出家としての技倆を発揮させる方向に仕向けた「何者」と川村元気の戦略の上手さを実感。というのも「愛の渦」も本作も性に介在する事象には興味があっても、性そのものを映画でどう描くかに興味は薄く、性行為を魅力的には映してくれない。しかし、役者の潜在力を引き出す才は流石に突出しており、松坂の肉体を駆使した性技や、ろうあ者を演じる冨手麻妙を筆頭に女優たちも総じて良いが、これまで注目していなかった真飛聖の存在感が凄い。松坂の母の挿話は蛇足。
またしても「さあ、これから人殺しを始めてもらいます」系日本映画である。「バトル・ロワイアル」をセカイ系のアイドル映画に作り変えるという発想や、市川、秋月に魅力を感じさせはしても、殺戮やアクションがお粗末では歌舞音曲でも配してくれないと2時間弱は持たない。園子温版「リアル鬼ごっこ」は本作でやろうとしていたことを、一点豪華主義と力技によって低予算でも可能なことを示していただけに、更に条件が厳しかったことは察するが、もう一歩踏み出してほしかった。
舞台となる牛窓は「カンゾー先生」のロケ地だが、映画的磁場が強いようだ。本作に出てくる人々も現実の中に居るとは思えない。路地から路地へとカメラが動くに連れて、人から人へと心地よく視点が移っていく。あれを撮ってやろうという意識を捨て、港町に暮らす人々の時間、ゆったりした歩みに寄り添って初めて映るものばかりだ。饒舌に語る老婆の不確かな内容にじっと耳を傾けていると、現実では随分長い間、こうした老人の繰り言に付き合う気力を失くしていたことに気づかされる。
前作「花に嵐」の素晴らしさに感嘆した者としては、そこらの若手とは格が違う才気煥発な岩切に瞠目しつつ、前作との同工異曲ぶりに幅の狭さを感じる。商業性を意識した前作と、作家性を押し出した本作では好みが別れるだろう。ボンジュール鈴木の楽曲の絶妙な配置、小川紗良をはじめ女優たちを魅力的に撮ることにかけては天才的。しかし、肝心のラストは迷いに迷って、思いついたアイデアすべてを団子の串刺し状に並べているようにしか見えず、いずれも優れた発想だけに勿体ない。