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則夫(梅沢茂樹)と大和(古屋隆太)が食卓を挟んで話をする場面の忙しないショート・パン、群衆を写すときの暈した画、いずれも意図した撮影だろうが、狙っている感じが些か鬱陶しい。種子の会を巡る話には、あまり乗れなかったが、選挙運動のためワイシャツ姿で歩き回る則夫の顔は良かったし、彼が、種子の会を脱会して、工事現場の警備員になってから、俄然、面白くなる。とりわけ大和と慈(長尾奈奈)の3人が、鶏を飼う森山(寺十吾)を訪ねていったところからあとの展開には感服。
どんな狙いがあっての谷崎かはわからぬが、「TANIZAKI TRIBUTE」として束ねられた3作品のなかでは、「富美子の足」が一番、面白かった。3人の俳優の熱演もあるが、足を主題にしながらイメージの広がりがあったからだ。それに較べ他の2作は、話にまともに取り組み過ぎて、視野狭窄に陥っている。「悪魔」も同断で、最初から、主人公は鼻血を出しすぎるし(苦笑)、彼を誘惑する小悪魔も型通りで、いまいち魅力に乏しい。彼女に執着する男にしても、執着ぶりが平板だし……。
ギャンブル好きで借金に追われ、蒸発した父が、13年ぶりに消息が知れた時は、余命いくばくもない状態ですぐ亡くなる。そのわびしい葬儀の席で、子どもたちが知らなかった父親の意外な面が明らかになるという物語に格別の新味はない。ただ、家族のなかでは、子どものときにキャッチボールをした記憶があるため、父の病床を見舞う次男(高橋一生)が病院の屋上で父と言葉を交わす場面の二人の間の距離の取り方などに、監督(斎藤工)の映画をよく見てきたらしいセンスが現れている。
まず、投手のジュン(渡辺佑太朗)をはじめとする野球部員4人が、いかにも強豪校のエース格の野球部員らしく描かれているのが良い。つまり、学内でも特別視され、野球を口実にたいがいのことは許されるぐらいに自惚れている連中だ。それが、女子中心の、彼らからすれば軟弱な演劇部に加わって舞台に立つなんて、とんでもない、と思いながら、イヤイヤ演劇に加わる。そこに生まれる葛藤を丁寧に描くことで、彼らが人間として成長していく様子に説得力があり、清々しい青春映画になった。
チラシに学者がピントはずれな推薦文を寄せている。現物を見ないで書いたと思うので無視しよう。この映画の主要な登場人物は誰も信仰に救いを求めてなどいない。求める前から組織(政治的には保守党の基盤)にいるわけで、むしろ宗教が政治革命の起爆剤たり得るのかが主題になっている。そこに原発が絡んでくるのが監督ならでは。ただし原発政策もまた要するに起爆剤の一つなわけで、背教者のわだかまりもそこにあると分かる。ラストのアニメは過剰な処理だったと思うが、必見作。
吉村界人と大野いとに外れなし、という個人的見解はここでも有効。いとは『あまちゃん』の田舎者アイドルも絶品だったが、こういう小悪魔も無理なくはまる。吉村は例によってエキセントリックなキャラ、一見攻撃的だが実は自己の弱さを自覚して内省的なところが深いね。二人の間に割って入る前田公輝と遠藤新菜も新鮮。物語設定の現代へのアダプテーションが「窃視」のシステムも含め、あまりにすんなりと行きすぎてかえって面食らう。谷崎って、言われなければ分からないくらいだ。
撮影もいいし、前半(過去の経緯)と後半(葬儀の式次第)でスタイルをがらっと変える構成も面白い。ダメ親父の葬儀に現れるキャストも豪華。しかし作者の思い入れがかえって観客をシラけさせる結果に。こういう外ヅラばっかりいいヤツっているんだよ、としか言えないな。問題は「親がダメでも子は育つ」という真理にそれほどのドラマはない、という点にある。対比的に描かれるもう一つの立派な葬式の落ちのおかげで面白く見られたものの話自体はめちゃ薄くないですか、この映画。
ご当地映画には時々傑作が現れるからうれしい。タイトルまんまの中身。こういう取り組みをずっとやっている高校がモデルだが、高野連がらみで実名を謳えなかったとか。我の強い投手が芝居の世界を経験することで協調精神を養う話、と書いてしまうと反発する人もいるだろう。「建前だろそんなの」なんて。でも部員相互のコミュニケーションがとても上手くいき、もちろん想定される挫折やきしみも取り込んで発表会を迎える作りに無駄がない。これを見ると野球より舞台をやりたくなるね。
日本人と信仰、日本人と政治に正面から挑んだ圧倒的な力作。混沌が取り巻く3・11以降の日本を口当たりよく描くことを禁欲し、映画に大小の違いはないとばかりに、つっかえながらも壮大な視点で描く姿勢に驚かされる。政権に入り込む宗教団体を信仰する二世信者たちが挑む国政選挙はさながら宗教戦争の様相を呈すが、そこから今の日本の空気をここまで鋭敏に捉えるとは。大島渚と長谷川和彦と渡辺文樹が嫉妬すると思わせる〈薄い絶望〉の堆積は、映画館から出ても続いている。
市川崑が「鍵」の脚色で意識したように、谷崎は映像を喚起させやすいだけに安易に映像へ移し替えると失敗する。現代を舞台にするというのも安易だが、それが存外に上手くいったのは古めかしい下宿屋の空間を周到に配置したことで、過去と現在が混在化したかのような世界を醸成できたことが大きい。そこに時代性を超越した顔立ちと存在感の吉村が暮らすことで原作に沿った映画化が実現できたとは言えるが、スカトロジーを予感させる娘の排泄物への固執が軽く描かれるだけなのは不満。
下手な自主映画みたいな安っぽいエピソードと、つまらない台詞ばかりが耳に残るにもかかわらず、抜かりない撮影と旬の俳優が次々出てくるので見ていられる歪さを面白がれるかどうかで評価は別れる。斎藤・高橋・松岡の主役級のトリオを揃えてこれではモッタイナイとしか思えず。葬儀会場での転調は「生きる」の現代版にもなり得たが、演劇的小芝居を誇示し合うだけにしか見えず。俳優が監督するとありがちだが、演技を余すところなくすくい取って残そうとするので胃にもたれる。
凡百のご当地映画とは一線も二線も画すのは、81歳のベテラン中山節夫の的確な演出に尽きる。年配の監督が描く若者が往々にして非現実的になりがちと危惧するまでもなく風俗描写を排除し、普遍的な野球と演劇に打ち込む若者に寄り添って描くことで瑞々しさすら感じさせる。仄かな恋情を通わせる場面のさり気なさも含め、キラキラ青春映画に直球で投げ返した感。教師からの参加強要や演劇部顧問が女子の前で男子に上半身裸になるよう強制するといった今日的問題への無関心は疑問。