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ピュアだね。ここに出てくる子たちは、みんなとてもピュアに見える。なぜなのか? たぶん、自分が「普通」と少し違っているということを自覚しているからではないか。自分を男だとか女だとか、アタマから信じ込んで、些かも疑ったことのない「普通」の男女の恋愛など見せられたら、微笑ましいと感じるのはごく稀で、大方は、鬱陶しさが勝る。それが、ここに出てくる子たちは違うのだ。とくに、みひろが井戸さんに向ける眼差しなど、恋する「女」の切なさが溢れていて胸をうつ。
こういう話に対して、どうしても身構えてしまうところがあるのだが。でも、素直に見ることが出来た。シナリオを含め、語りのリズムが歯切れよく、時間の流れがスムーズに受け止められたということがある。そして、何よりも、眠り続ける許婚者を病院に見舞う佐藤健の身振り・表情に気負ったところがなく、自然体なのが良かった。彼にとっては持続する時間が、許婚者(土屋太鳳)にとっては空白という決定的なずれを埋めるのが、スマホに残された画像というのにも納得。
大林作品らしい絢爛たる画像が次々と繰り出されるのに眼を奪われるが、主人公かつ語り手の俊彦に扮する窪塚俊介の表情が気になる。唐津という新しい世界にやってきて、見るもの、接するものに興味津々というイノセントな青年ぶりを現すためだろうが、演技臭を感じるのは当方の偏見か。俊彦が訪ねた吉良(長塚圭史)の部屋で寝台から降りる千種(門脇麦)の足に血が垂れるとか、兵隊姿の案山子がいつの間にか人間の兵隊として行進するといった目覚ましいシーンには事欠かないのだが。
黒川芽以の由実は、人と接しないときの表情に孤独を宿す。井浦新の杉谷は、居酒屋の客の冗談に返す言葉に戸惑うところに、この暮らしに馴れながらも落ち着けないさまを表す。そして、なぜか由実の叔母(天衣織女・好演)が入院した病院で、自分の義足について語る女(山田真歩)が印象深い。それは彼女が、失われた記憶や思い出したくない記憶を言葉に出来ない由実と杉谷の「記憶」のありようを照射するからだ。江戸庶民の切ない願いを託す二十六夜待ちは、いまも秘かに生きていた。
面白い。が、もっと面白くても良かったんじゃないか、なんて感じさせてしまうところが惜しい。意図的な構成だが、描かれる事例が並列的。それ自体は上手で飽きさせないものの、取材者の思い入れがどこか、というか誰か、に強烈に宿っていてくれた方が観客にとってはありがたかっただろう。性同一性障害に対する差別偏見がない社会を私も望んでいるし、そういう矯正効果も十分期待できる作品として高く評価する。でももっとドロドロした修羅場ばっかりの映画の方が私は好きですね。
チラシを見れば「眠りの森の美女」風のよくある難病ヒロイン(とその恋人)物、と誰でも思うだろう。ところが予想はころっと裏切られて、彼女が意外と早く目覚めたあたりから、思わぬ不穏な展開に突入する。思わぬ、と言っても写メとかきちんと練られた使用法でカタルシス大あり。冒頭部が問題の写メによる画面で、思い返せば彼女の表情もうつろであった。恋人たちの記憶(障害)映画というのはメロドラマの王道であり、実話の枠を超えて感涙必至。ご当地映画っぽい側面も楽しい。
引退したのかと思っていた穂香ちゃんが華やかに復活。しかもあろうことかツルピカなお尻まで。それはともかく、いかにも大林的な吸血鬼(風)美少女がハマって嬉しい。ただし私はこの監督の映画を一切評価しないので、星を足してもこんな感じ。無意味な百八十度切り返し編集としつこい合成画面。配役は豪華でも記号みたいにしか演出されていない。こういう悪い見本みたいな作風になってから評価が高まったのは、彼には不幸なことであった。インタビューもやたらと言い訳がましい。
答えのないミステリーというギミックが効果的、真実は月光だけが知っている、という作りである。新の「光」での壊れっぷりは見事だったが、こちらも実は彼が壊れた地点から静かに始まっていたわけだ。演出としては、劇的な趣向を持て余した観のある「海辺の生と死」よりも本作の方が一枚上手。端的に言えば、主人公二人がセックスするごとに関係が少しずつ進展するこちらの方が語りやすかったのだろう。二人の相性もいいし。市役所職員に扮する諏訪太朗にとっても代表作となった。
多彩な性と愛の形が描かれるが普遍的な恋愛映画でもある。勝手に区分して分かったようなことを言う愚かさを実感させる。親子が対面した時や、恋人と話し合う席にもカメラはついていくが、もう一歩踏み込めば更に〈面白くなる〉という直前で離れる引き際も良い。こうした優れたバランス感覚は誰もが納得できるとは言い難い選択を重ねて今がある人たちを撮る時にも発揮される。こう生きれば良いと言うのは容易いが、器用に生きる人だけの世界がこの人たちを受け入れるとは思えない。
「64」以前は規模の大小によって出来不出来が激しいと感じることもあったが最近は好調な瀬々だけに、〈感動実話の映画化〉をわざとらしい催涙場面で盛り上げることもなく、題名でオチまで明らかな内容を淡々と描写を積み重ねる実直な作りに好感。ドキュメンタリーを経由した監督だけに実話への安易な依存がないのも良い。悲劇に直面した花婿という熱演したくなる役だが、佐藤の無機質な雰囲気で抑制されている。土屋太鳳は生気がありすぎて退院後は良いとしても療養中は過剰。
半年前に観て以来、夢の中にこの映画の極彩色の映像が現れては消えるほど、フィルムからデジタルへ移行してから過剰さを増した大林映像絵巻の極地を体感。黒澤、新藤と同じく晩年を迎えた監督が枯淡の境地に達するのではなく、剥き出しになったイノセントが独自の映像美学へと衰え知らずに昇華されていくのに否応なく圧倒。キャリアのある若手俳優たちからも驚くような初々しさが引き出され、デジタル紙芝居に血を通わせる。集大成ではなく、大林の〝まあだだよ〟が聞こえてくる。
「光」と同じく井浦の静謐な演技に魅了される。記憶を失くした男と、過去を失って虚無的になった女という設定は小説では有効だが、映画となると男の側は料理や周囲の人々の描写で立体的になるが、女の側が弱くなる。事務所で電話中の叔母に平気で話しかけるヒロインのズレ具合が反映されるかと思ったのだが。井浦の拠り所となる小さな料理屋がロケセットゆえに狭く、包丁さばきも自ら見せるだけに撮影所時代ならばセットの店が主人公にとってかけがえのない場所として輝いただろう。