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力作! 瑛太の輔と井浦新の信行が、25年ぶりに会う場面の二人の表情の違い。その違いに、島での幼少期の二人の関係が現れている。慕う者と慕われる者。その非対称の関係は持続し、そんな彼らの上には、「殺して」と呟く不感症の少女がいる。何気ない日常が抱える虚無。そこに暴力が噴出する。暴力といえば、輔の父を演じる平田満の足蹴も凄まじい。橋本マナミ扮する信行の妻を含め、俳優たちが渾身の演技を見せる。彼女は、夫に関わるすべてを知ったあと、どう日々を過ごすのか。
前作がどんな話だったかは、すっかり忘れてしまったが、これはこれで結構楽しく見られる。強奪された「毛蟹」の行方を巡っての話の大筋はともかく、前田敦子の相手次第でどうにでも転ぶ天然キャラぶりや、松田龍平を地面に叩きつける志尊淳の足技(最後には龍平の逆転技があるのだが)、かと思えば、猫のように大泉洋の探偵にしなだれかかる安藤玉恵など、脇のキャラ設定に工夫がされていて、飽きさせない。ただ、しばれる、というわりには雪の寒さが感じられなかったけれど。
最近の青春映画には冷淡な当方も、久し振りに青春という言葉に背中を突かれた気がする。というのも、青春期と呼ばれる頃にも、その青臭い春が鬱陶しくてならなかったからだ。青春を愛でるのは、哀惜に似た希望、希望に似た哀惜に過ぎないと。それ故、そんなものにサッサとおさらばして、物々しく歳をとってしまうことに努めてきたという次第。それが文字通りの老年になったいま、この映画を見ると、かつて足蹴にしてきたものに不意を撃たれた感じがする。とても可愛い映画だ!
敗戦時に、不都合な記録は燃やして、なかったことにした伝統がいまも健在なこの国では、従軍慰安婦など存在しないと言い募る輩が跋扈しているが、であればこそ、パク・スナム監督の20年に及ぶ労作は貴重である。本作で、日本政府の謝罪と賠償を求める〈韓国「従軍慰安婦」被害者の会〉の女性たちも、次々と亡くなり、やがて一人もいなくなるだろう。すると、被害者不在をこれ幸いとばかりに居直るのは目に見えている。そのとき、この記録こそが、事実を証明するのである。
思いがけぬアクシデントで隠蔽された殺人の痕跡が数十年後に現れるというコンセプト。島の極彩色の花々と音楽が時折り画面に割り込んできて、ぎらぎらした演出だが幻想的なラストの趣向には合っている。邦画というより南アジア映画といった感触なのだ。海にかかる月のおかげで海上に銀色の道が映える、という風景が登場人物達の追われた島の中核イメージにあり、それを忘れられない瑛太の孤独を際立たせる。新のさりげない狂気も上手く描出されたが、ファムファタールの役が弱い。
コメディ風味がうけてめでたく第三弾。ネタバレ厳禁なんで話は書けないが、今回は大泉の相棒松田の持ち込んできた女子大生失踪事件が実は闇社会につながっていて、というもの。実はそんなに複雑な話じゃないのだが、一度やられた探偵コンビがそれぞれ捲土重来を期する細部が面白い。人間関係が思いがけなく連係する感じは大都会じゃなく中都会札幌だからこそ、というかこれがこのシリーズの長所だろう。そういうわけで悪人も犯罪もちょっとスケールが小さいが、それも長所かもな。
驚いた、これには。試写では驚きついでに出ていく淑女も数名いたモノホンのピンク映画。ストレス疲れの会社員二名による制服コスプレで、似合わないところがキモということになる。浦島太郎が玉手箱を開けなきゃどうなるという発想が基底にあり、当然老けずに若返るわけね。監督こだわりの宮崎駿作品への言及もあり、爆笑間違いなし。こう上手に使われたらトトロも本望であろう。二組のカップルが深夜の高校で過ごす桃色のひととき、それが交差しそうで交差しないおかしさは絶品。
ここまで日韓政府間合意がねじれてしまった以上、慰安婦問題にあまり関わりたくない、というのが普通の日本人の感覚だろうが、そういう人にこそ見てほしい作品。戦犯の孫による戦争加担合法化政権を大はしゃぎでもてはやす国民が過半数のこの国で、もう一つの戦争犯罪というべき性暴力被害を訴え続けることの大変さは傍目からもよく分かる。監督朴壽南のこの問題への取り組みの発端から現在までが手際よく語られ、必見。しかもそこに沖縄戦が影を差していたことの意味は極めて重い。
自然と人が剥き出しになって共鳴する冒頭の島の挿話だけで1本の映画を観たかのような濃密さを味わう。というより、そうなっていなければ失敗作になっただろう。死体の映った写真をめぐる脅迫と、暴力が鈍く光を発しながら露呈していく日常の空間の歪みは、音楽の使い方も含めて大和屋竺の「裏切りの季節」を思わせもするが、大和屋-荒戸源次郎-大森の系譜を踏まえれば当然か。橋本マナミの疲弊した無表情が素晴らしく、演技賞は確実。井浦の繊細な受けの演技と共に忘れがたい。
BSの『獄門島』で市川崑からの呪縛を解いた吉田照幸の登板は意外だったが、3作目で監督を替えたのは正しい戦略。長谷川博己の金田一ほど大胆なキャラ変更はされていないのはシリーズの特性からして仕方ないが、笑いのテンポ、間の感覚はこれまでより良い。ただし、暴力とエロ描写がソフトになったのはいただけない。NHKの社員監督だからというより、これは大友啓史にも感じるが、テレビ表現の限界で考えるからではないか。女性客を意識して縄を緩め始めると失速しかねない。
評論家が映画を撮るという自意識など全く感じさせないフェティシズムにあふれた切通監督の妄想解放空間になっている。『浦島太郎』を下敷きに青春のやり直しを一夜に凝縮させた脚本は、出逢いと一線を飛び越える瞬間を丁寧に描き出すのも含めて、〈キラキラ青春映画〉へのアンチテーゼであると同時に、あんな青春を送れなかったおじさんからの少し変態の入った回答(須森隆文の異形ぶりが素晴らしい)。初々しい作りに驚くが、どうやら青春を取り戻したのは切通監督だったようだ。
元慰安婦たちの戦いが要した時間の長さを実感させるのは、記録された媒体の移り変わりだ。16ミリフィルムからビデオとなり、業務用カメラから民生機へと小型化し、不鮮明な画質が時代を経るごとにクリアになる。ところが事態は逆に不透明化していくのだから皮肉である。本作の趣旨に賛同するならこれで良いだろうが、無知も含め慰安婦を否定する声が大きい昨今、ホロコースト否定派との法廷劇「否定と肯定」ではないが、新たな描き方によって反証する必要が出てきたのではないか。