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試写が最初の予定より遅れたのは、出来上がるまで、ずいぶん時間がかかったせいなのか? そのぶん丁寧に作ったということなんだろうな。水際を走っているように見える電車の遠景なんか綺麗だし。だけど、見ていて、いまいち弾まない。時間が巻き戻され、あの時をもう一度やり直す、という仕掛けが、話としてはわかるけれど、そこに見る者を巻き込むようなダイナミズムが感じられないのだ。まあ、感じるという人はいるだろうし、それはそれで結構なことだが、当方には響かなかった。
なんだろうね、この面白さは。確かにヘンリ・ミトワというおっさんが戦中、戦後を生きてきた道筋は、半端じゃなく面白いのだが、彼を追いかけたドキュメンタリーが、それだけで面白いかといえば、そうではない。そこに再現ドラマが絡み、アニメーションまで出てくるという、一見、野放図に見えながら実は結構緻密な組み合わせの全体が、一個の作品として面白いのだ。それにしても、仏道や茶道に通じた彼が、最後に「赤い靴」をモチーフにした映画作りに拘ったのは、なぜなのか?
見事! 金魚掬いした少女がセーラー服を血に染めて道を歩き、ボンヤリした表情の松田龍平に長澤まさみが苛立ち、惨劇の現場を覗く長谷川博己に高杉真宙が声をかける。三者三様の導入が、セッションを重ねるように絡んでいく展開に一挙に引き込まれる。原作由来の人の概念を奪うという設定は、それ自体で示唆的だが(人間は通念化した概念に縛られているからね)、人間と侵略者が同行するうちに深く繋がっていく姿がリアルに浮かぶのは、映画の力だろう。概念化し得ぬ「愛」に感動。
前作「三里塚に生きる」に対し、本作は、三里塚闘争の支援に入った人たちを撮っているだけに、1960年代末からの空気がまざまざと蘇り、様々な想いを促す。71年の第1次強制代執行の報道を見て、居ても立ってもいられず、支援に入った少年(当時)もいれば、支援に入ったなかで現地の青年と結婚した人もいる。また空港の管制塔を占拠して8年の実刑を喰らった人もいる。本作は暗黙のうちに、彼らをそこに向かわせたのは何か、と語りかけることで、埋もれた歴史を今に呼び戻す。
オタク系妄想全開で「キミ膵」よりガンガン攻めてます。壁ドンはないが床ドンあり。様々な映像技巧に驚愕し、岩井俊二版のささやかな「もしも」とは別物と覚る。最初露骨に感じたデジタル効果が、「もしも」が重層化される後半に向けてぴたっとはまっていく作りもいい。特に花火の形で主人公がはっとするあたり。オリジナルを脚本家が越えようとしたのがこの細部だ。オレならこうやる、と大根はずっと考えていたのだろう。聖子ちゃんのロマンチックなプロモーションV風場面も眼福。
禅僧とは悟ったヒトかと思っていたが、これを見ると認識が変わる。それどころかミトワさんを愛する人達は数多くいたのに、必ずしもこの人はその思いにきちんと応えている気がしない。我欲のせいだ。でも映画を見た人も彼を愛さずにはいられなくなる。得な人だね。戦時中に差別的な日本を逃れて父の国アメリカに渡航する部分は劇映画、これも高品質。余とウエンツの屈折した母子の情感はまさしく映画ならではだし、私は米国に忠誠を誓いません、とわざわざ言っちゃうこの人も凄いよ。
黒沢映画は映画的には合論理的で、物語的にはどこか破綻している印象だが、これはその関係が逆転している。戯曲が原作で、エイリアンは地球を盗む前にまず概念を盗む、でも盗めなかったものがある、それは、というお話。要約すると何か違う。やっぱり逆転してないか。ロードムービーとホームドラマ、二つが交互に語られる構成はヨーダン脚本SF「人類SOS!」をやっている。寓話というほど寓意的じゃないのだが、人類の終末到来の予感をあくまで海辺の光線のみで処理して秀逸だ。
二部作の後半部となる本作は三里塚に「闘士」として入っていった人々と、農民の土地買収を担当した公団職員に取材する。御茶ノ水の坂の途中に「成田に集結せよ!」と書かれたタテ看がぎっしり並んでいたのを覚えている世代には、血が騒ぐ場面が続出。特に管制塔に活動家が乗り込んで機材をぶっ壊す一件は、本人の証言入りで価値が高い。当時、ニュース映像で我々が見られたのはこの事件ぐらい。もっともこれは運動退潮期のエピソードで、ここから後は悲しい話題が多くなるのだが。
オリジナルはわが邦画オールタイムベスト級だけにリメイクなんてと思ったが、アニメ化&大根仁が脚本&中学生へ設定変更に納得。前半は台詞も含め実写版をほぼそのまま踏襲し、後半の独自展開で差異を見せる。だが、変化が少ない前半は岩井俊二の神がかった演出との落差を露骨に感じてしまい、後半は実写版をきちんと踏まえて広げた大根の二次創作ぶりを楽しむが、もしも玉という何でもありの便利な道具の活用法に疑問。岩井の流れを汲む作り手がアニメも手がけるべきだったのでは。
日米の歴史に翻弄されたヘンリの過去に劣らず今が凄い。突如映画への情熱を燃やし、中島貞夫をはじめとする映画人を巻き込んで猪突猛進する。インタビュー途中の死は映画の中絶ではなく新たな生命を授ける。再現ドラマとアニメ、関係者の忌憚ない証言を集めることで彼の人生が客観視され、豊かな実を結ぶ。こんな人を抱えた家族からの愛憎物語としても突出。観終わると喜怒哀楽から骨までを画面で曝け出したヘンリの手のひらで転がされていた気分になる。彼こそが映画そのもの。
冒頭の血まみれ女子高生が車道を歩くショットや、家に人が引きずり込まれる厳密なタイミングからして興奮する。50年代の共産圏からの侵略をメタファーとした小都市SF映画のテイストを甦らせるための手練手管の数々は、黒沢の集大成を眺めているかのよう。松田、長澤夫婦の静謐な物語の裏で怪演する長谷川を利用したやりたい放題によって中短篇で試行を重ねてきた女性アクションが開花したのも喜ばしい。ただ、クライマックスから終盤にかけては一度観ただけでは性急な感もあり。
小川プロの記録映画は今でも観るが、三里塚の今には無関心を決め込んでいた。闘争で入ったまま農家に嫁いだ女たちの境遇に思いを馳せたことなどなかっただけに、土地の売却に応じざるを得なくなった家庭の元活動家女性の自死を含めた現況が語られ、これがつい最近の出来事なのかと驚く。インタビュー中、誰もが話の途中で押し黙る。飛行機の轟音でかき消されるからだ。やたらと飛ぶ蚊を手で叩き潰しながらシリアスな話をする農婦など、余白を活かした映画的な語り口にも魅せられる。