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時代劇だけどSFというのは、原作譲りなのだから、そのハチャメチャさに文句をいっても始まらない。というよりは、こういう映画があってもいいんじゃない、というのが正直な感想。とにかくマンガのキャラクターに似せようと生身の人間が頑張ってる。小栗旬の銀時はカッコよすぎるが、安田顕の鍛冶屋は、唾を吐き散らしての大音声に感心すると同時に、対面する相手役に同情する。勘九郎の近藤勲は立っているだけでおかしいし、新井浩文の岡田似蔵もなかなか、という次第で悪くない。
冒頭の車の屋根から突き出たマイクが写り、走行音が強く耳に響くのを見たときは、これはと期待したのだが、時間が進むにつれ、期待は萎んで、睡魔と闘うのに苦労した。十人もの男のグループが時折、草原に立って空を見上げているのは、UFO捜しらしいとわかったが、「ギ・目には見えない世界が好きでしたス」とか「ギ・あいうえおスの〝ス〟は〝澄みきる〟のス」とか、能書きが頻繁に入るのが鬱陶しい、といっては作り手に失礼で、それをアートとして見せたいということなのでスね。
冒頭の、高校生三人組が呼んだ愛衣(伊藤沙莉)が不良仲間と立ち去るときに、その時ボクは彼女に恋をしたという意味のナレーションがかぶるのに躓いた。あの場面からは、ボクは高校生の中の一人としか受け取れないからだ(実は違う)。ただ、それ以外は、エピソードの起承転結の結が抜けていて、起承転々としていく粗っぽい作りが、それなりの面白さを出していた。むろん、韓英恵は、ヤクザのでんでんたちに弄ばれる前にヤクでも盛られたのかとか、気になる箇所はいろいろあるのだが。
ファンタジーですね。いや、引きこもりの女の子が、思わぬイラストの才能を見出されて、企業の求めに応じた仕事が出来るようになる。挫折はあっても、というお話がファンタジーだというわけではない。父と娘の食卓の風景はもとより、カメラが一歩外に出たときの外景にも、ほとんど現実感がないからだ。ただ、それも門脇麦の顔をひたすら愛らしく見せるための狙いだったのでしょう。話をリアルに突っ込めば、彼女の引きこもりの原因は母にあり、つまりは母原病の物語にもなったのだが。
原作に興味がなかったが映画を見たら読みたくなった。そういう効用はある。続篇を意識した終わり方なので、ヒットしたらやりましょうという線か。有名俳優を使うことで二次元キャラとの差異は出せているものの、私じゃパロディが分からない。説明してくれるので、そうですか、という感じ。そういう脱力した鑑賞が結構合っているみたい。でも世間の評価が良くなかった「明烏」の方が俳優の身体を張った動きを楽しめたと私は思う。CGアクションばっかりじゃ何か味気ないではないか。
ギはギグ、ということみたい。でも説明は最小限だから解釈は色々できる。ある事象を探索する旅が映画であり演奏である、というコンセプトがじわじわ分かってくる。疾走する車から突き出した集音マイクが方向によって風音をひろったりひろわなかったり、というリズムを基調にして「世界は音だ」という観念が具象性をもって映像化される。「ステップ・アクロス・ザ・ボーダー」という映画を漠然と思い出した。音は確かだが、見えたものは最後まで不確かなまま。それは演出なのか現実か。
映画は結局、世界は天国だというのと地獄だというのに分けられる。これは後者。母親に捨てられた少女がたどる年月を笑えない喜劇として描き出す。主演の子は初めて見たが、聖なる少女から風俗嬢までくるくる変わるキャラを自然体で好演。特に初めて得た父親(ではないのだが)につい愚かな対応をしてしまうあたり、絶品である。また私、絶対ごひいきの二人、須賀健太と吉村界人の共演も見応えあり。どんどん狂っていく吉村と醒めていく須賀の対照がいい。最後の出会いと別れも感涙もの。
見ている間はご都合主義だなあ、と思っていたが見終わるとご都合主義の良さってあるよね、と周囲に同意を求めたくなる映画。それは多分、引きこもり彼女の天然が結局世界を豊かにしていくからだろう。彼女は翼を持たないが大天使ミカエルなのだ。或いは長刀を描きこんだイラストで守護天使を味方につけたというべきか。困った母親との対決というデリケートなテーマも含んでいるが、そういうシチュエーションにありがちな「いたたまれなさ」はない。いい加減な父親がいい味を醸成。
映画になると一貫して相性の悪い福田作品だが、これは脱ドラマ的趣向を用いる原作と監督の個性が合っている上に、漫画の実写化を心得た小栗と菅田が中心なので安心して観ていられる。橋本も初めて所を得たと思わせる極端なキャラがハマり、若さを体現する体つきも良い(間違っても痩せようとしないように)。ただ、「珍道中」シリーズと同じくメインストーリーが強固に構成されていて初めて楽屋オチが生きるので監督に脚本も任せきるのはクライマックスの処理を見ても得策と思えず。
前作を観逃したことを猛烈に後悔させる圧倒的な轟音体験。冒頭の指向性マイクが方向を変える度に響く風音の違いからすっかり魅せられる。「マッドマックス」の様に荒野を改装車で疾走し、野草を踏む音すらも個々の足への力のかけ方が音色に変わる。ディストピアを放浪する少数の生き残った人類を思わせるギ・あいうえおスが音と共にめぐり会う様々な人や建築が素晴らしい。UFOに遭遇しても、この世界なら不思議はない。柴田作品としては「NN-891102」を超える秀作。
一時期は園子温っぽすぎる企画に作風も近づけすぎるのを危惧した内田英治だが、本作もテーマ、キャスト、スタッフ共に一部重なっているが演出に自身の色が出るようになり、対比せずに済むようになったのは喜ばしい。しかし、ヤンキー、ヤクザ、AV、宗教などあらゆる混沌を飲み込む真の主役というべきこの地方都市の顔が見えてこない。若手実力派俳優が熱演しているのにモノローグで「今にも何かが爆発しそうだった」と言っても画面からはちっともそう感じさせない空疎ぶりも辛い。
篠田昇の助手だった福本淳が90年代の行定勲作品などで見せた篠田ルックな映像全開という理由だけでもないが、何とも古めかしい。小声で呟く、のっそりした門脇にフェミニンな魅力はあるが「LOVE LETTER」で岩井俊二が戦略的に少女漫画や自主映画的な設定を持ち込んでいたのに比べると無防備すぎる内容。引きこもりも職業意識もサバゲーも、口当たり良く流れる劇中のアイテムに過ぎず、都合よく使われるだけで寓話性の強調は映像以外にも手立てが必要だったのでは?