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原作は読んでいないが、マンガだったら面白く読めるのだろうと、映画を見ながら思った。というのも、ここまで徹底して類型的な人物を活かすのには、付随的なエピソードを含めて、叙述に相当な分量を必要とするからだ。マンガなら何ページも使って、それができる。だが、映画では、尺数の関係もあり圧縮せざるを得ない。そうなると、類型的であればあるほど、人物の薄っぺらさが際立ってしまう。だから原作を読んだ人には、それを踏まえて見る面白さもあろうが、素で付き合うのは辛い。
鉄ちゃんとは無縁な人間だが、見ているうちに銚子電鉄に乗ってみたくなった。それは本作が醸し出す独特に柔らかい空気によるのだろう。松風理咲扮する高校生は自分が企画した、銚子電鉄と高校生とのレースの最終ランナーが決まらず焦ったり、母親(富田靖子)と運転士(有野晋哉)の親しさに反撥したりもするが、それが亀裂を生ずるようにはならない。人と人との関わりが、苛立ちや反撥をも肯定するように促すのだが、それは前野朋哉と植田真梨恵との描き方にもいえるだろう。
視野が、半径3メートルぐらいに限られた若者の恋愛映画が多い中で、これは出色の青春映画。まずは田辺の田園地帯という舞台に、詩のボクシングを主軸に立てたこと。そこに梅農家の頑固な父親に命じられる草刈りにウンザリしている青年が、偶然関わるようになる一方、教室で友達に話しかけられると睨むような眼差しで拒絶するボクシング・ジムに通う少女を配したこと。この岡山天音と竹田玲奈をはじめキャストの配分も成功しているが、時折挟まれる後姿のショットが印象に残る。
工藤阿須加と福士蒼汰の組み合わせが生きている。とくに地味なネクタイの新入社員として、暴君さながらの部長(吉田鋼太郎)にパワハラされる工藤は、ピッタリはまっていた。おそらく彼を見て、オレみたい、と思う人もいるだろう。そんな工藤を、小学校の同級生と偽って助けるアロハ・スタイルの福士は、このような人がいれば、という作り手の思いを体現した存在なのだろう。ただ、小池栄子から、彼の秘密を明かされる場面に入るカットバックが説明過多な感じもしたが、念押しには必要か。
この生徒会選挙運動映画という大真面目なホラ話に痺れる。絵に描いたような正義漢があくまで脇役で、ライバル関係にある主人公二人、菅田と野村がどっちも「ろくなもんじゃない」という構造が秀逸。いわゆる権謀術数というヤツ、「どこまで相手をおとしめられるか」のみが問題なのだ。現代日本の政治体制云々を連想するのは野暮で、あくまで冗談だからいいのよ。文化祭の和太鼓パフォーマンスとか、菅田の相棒のメカおたくとか細部の充実ぶりも特筆もの。マイムマイム事変にゃ大笑い。
実はご当地映画って大好き。こういう拾い物があるからね。十年前の堀北真希といった印象の美少女の不機嫌な日常と地元あげての駅伝大会のお祭り騒ぎ、このブレンド具合が最上の効果である。認知症老人の元駅長、というエピソードは物語として分かりづらくオチが利かなかった。これは失点だがのんびりしたムードは楽しい。歌手志望のお嬢さんの行動パターンには理解を越えるところがある、が目をつぶろう。今時の映画で〈黄昏のビギン〉が聴かれるなんてそれだけで加点ものである。
噂には聞いたことがあるが「詩のボクシング」を初めて見た。訓練方法も面白いし、強化試合は輪をかけてヘン。題材の設定だけで見る価値はある。女子高生側も市民連合側も朗読バトルに関しては真剣勝負でやっている。たどたどしい感じもあるが皆さん、自分の言葉をまき散らして場を盛り上げる。一応コンセプトはニート青年の人生再スタートを詩の完成とシンクロさせる、というもの。ただし彼の詩は物語の中核を担い過ぎかえって途中で飽きる。もっといっぱい色々な詩を聞きたかった。
この物語で二時間弱は長い。主人公の若者の辛さは描けているが大体思った通りに進行し、意外性がないのだ。だから終盤の事情説明がバヌアツの観光映画みたいになっちゃった。やりたかったのは、いい大人が鞄を振り回しながらスーツ姿で横断歩道を駆けてくる画面だろう。分かるものの、それが意味するのは「彼の個人的解決」でしかない。見終わってもどんよりした気分は変わらなかった。よその国の子供に奉仕するより、日本社会を変えてもらいたい。せめて同僚を救うのがスジでは?
鈴木則文が「ドカベン」で実践したように漫画実写化は表情から動きまで如何に再現するかが重要だが、その方法論を理想的に発展。役が固定化しかけていた菅田に跳んだ役を振ったおかげで全篇を全力で演じて引っ張るが、間宮の〈妖演〉も良い。「ちょっと今から仕事やめてくる」同様に吉田鋼太郎の怪演も支柱になっている。「小説・吉田学校」を超える政治闘争劇を堪能。演技や世界観が大仰な分、演出は抑制されているのも好感。この布陣なら加藤諒を迎えて『パタリロ!』も出来そう。
川本三郎氏の映画と旅を絡ませたエッセイで読んでみたくなる作品なのはいいが、銚子電鉄には乗りたくなったものの映画には乗れず。ヒロインが企画したレースが最初から決まっているが、先輩への下心から彼女が言い出したところから始めるなり、電鉄への愛情を提示しないとモチベーションが不透明に。堀北真希の後継と言われそうな松風は初々しいが、相手役が芝居を受けないと弾まないだけに雰囲気重視で配役されたと思しい有野の演技が壊滅的なので、富田の役を大きくしないと厳しい。
詩のボクシングはいつか映画化されると思っていたが最大公約数の観客に向けた作りなのは記念映画という事情か。今の映画に相応しくやたらと不幸が盛り込まれるが、肝心の声とパフォーマンスで言葉を表現にする手段を手に入れる喜びは薄い。ロードサイドのラップ映画や、詩人監督、詩の映画化も珍しくない時代に、言葉と声の格闘技を映画で描くには淡白気味。ヒロインのボクシングの挫折と吃音も一方だけで良かったのでは? クライマックスで客席や舞台袖の反応を拾わないのも不満。
大手スーパーへの批判を巧妙に隠した「スーパーの女」の様に、中小企業を舞台にすることで大手でも製作可能だったと肯定的に観るか、大手ブラック企業事情を思えば白けるしかないかは兎も角、「ソロモンの偽証」の女子生徒へのいじめシーンの様な加虐的描写になると成島演出は突出し、パワハラ場面は均衡を崩すほどの狂気である。それが家族や南国の楽園に救いを求め始めると途端に軽薄に。主演2人の演技では持たず、吉田のハイテンションな怪演と、黒木、小池らで救済された感。