パスワードを忘れた方はこちら
※各情報を公開しているユーザーの方のみ検索可能です。
メールアドレスをご入力ください。 入力されたメールアドレス宛にパスワードの再設定のお知らせメールが送信されます。
パスワードを再設定いただくためのお知らせメールをお送りしております。
メールをご覧いただきましてパスワードの再設定を行ってください。 本設定は72時間以内にお願い致します。
戻る
公開年:
現在の文字数:0文字
氏名(任意)
前回が「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」で、今回はこれ。タイトルが似ているので、時間が経つと話がゴッチャになって困る。にしても、「明日で待ってる」の「で」はなあ。澁谷で待ってるならわかるが……てことは、この明日は場所化しているのだ。で、肝腎の映画は、たそがれてる男子に積極的に働きかける新木優子が溌剌として悪くないし、監督は監督で、手の撮り方に拘るなど工夫はしているのだが、自分から別れを告げた彼女の悩みに辿り着くまでの展開が、いささかかったるい。
ここに登場する人たちは、みんな映画に関わることで、自分を取り戻すようになる、というお話。衣裳が気にいらないだけでスタッフに文句たらたらの女優は、老けメイクされた自分の顔を鏡で見て、素直な自分に戻るし、市長交代でフィルム・コミッショナーにさせられた男は、監督の話を聞いて現在を肯定するようになり、大道具を運ぶトラックに便乗したフリーターは、ロケ現場を見に来るという具合で、いい話ではあるが、女優の独白も酒場の会話も言葉と顔のアップで表すのはどうか。
髙嶺剛ワールド全開で、何が何だかわからないのに、その言葉を紡いでは不断に無化するような映像の連鎖に、文字通り夢の世界を彷徨っているような、あるいはまた、奇怪な迷路に迷い込んだような不思議な魅力に捉えられる。ここは沖縄で、その光も匂いも、オキナワ以外ではあり得ぬと確かに感受しつつも、それでいながら、どこでもないどこか、という思いがつきまとう。だから、一度見ると癖になる、というよりは、映画館の暗闇で半覚半睡の状態で醒めて見、眠っては見たいと思う。
そうか、佐々木蔵之介が、小藩の心優しい殿様じゃなく、やくざをやるか、と思ったが、これが見事にはまっていた。とくに、目玉剝きだしにして、殴りかかるところなど、思わず吹き出した。いや、アクションの捌きもなかなか。対するカタギの横山裕も、へたれの感じをよく出していたし、キムラ緑子の母親と向き合う場面など、いかにも普通という雰囲気でいい(キムラのうまさもあるが)。で、全篇、追っかけに次ぐ追っかけはスピード感があり、捕まっては逃げる橋爪功のしぶとさも効いている。
回想形式だが、回想が終わったところから劇的な葛藤が始まる仕掛け。これが上手くいった。気持ちよくだまされた私。ただし長い割に説明不足で、お祖母ちゃんが不機嫌だったわけが未だに私にはわかりません。監督最大のお手柄はカー○ル・サ○ダース人形の使用である。あれがないと二人仲直りできなかったはずだから。男に対してポジティブな女というのは非モテ男子には夢みたいな状況で、相手が新木優子じゃ文句のつけようもないが、もう一人の美少女美山加恋ちゃんが少し可哀想か。
ゾウを撫でるのは群盲と決まっているから、これが煩悩だらけの群像劇なのは当然。映画がクランクインするまでのあれやこれやで、悪意はないが映画的仕掛けは満載。終わりから撮り始めるとか、主役が現れないとか、鏡の中にもう一人の自分が見えるとか。また独立プロの名作以外にも、金井勇太の子役時代の映画「ズッコケ三人組」をわざわざ使うあたり、芸が細かい。様々なハッピーエンドの予感を花束にしたみたいな物語が気に入った。菅原大吉みたいなお父さんになりたいものです。
映画と舞台のミックス・メディア「連鎖劇」の形式、と最初に説明あり。確かに二人の主人公の格好がそれっぽいが、中身はどんどん逸脱。有名な「ウンタマギルー」に比べると特撮合成の凝り方や細かい挿話の組み合わせ方にさらに磨きがかかり、物語の要約が不可能になっている。面白いのは双焦点レンズの使い方で、画面の左右、時間の進み具合が違うかのような感触をもたらす。映画を目指す人、というより現代美術作家に刺激を与える作品。ヘンでギョロっとした映画という意味だよね。
北村一輝に比べると佐々木蔵之介はいかにもインテリやくざっぽくて、これはこれで面白い。彼に引っぱりまわされる横山君は部下でも子分でもないのは当然だが、本人的には相棒ですらない。それが人間関係の機微を生むものの、脚本家が期待するほどにはクライマックスの逡巡が効いていない。それとやくざがあまりに簡単に騙されてしまって不自然。仕掛けは実は複雑なのだが作劇的にうまくいってないようだ。また橋爪が映画人だか詐欺師だか分からないのも、私としては納得しかねる感じ。
新木優子の明瞭な口跡と、明るさの中に憂いを帯びた表情を垣間見せるのが良い。もっともサバサバしすぎて他人のことなど全く考えていない風なのが苛つかせるのだが。キャラとしてはいいが彼女の内面まで隠れたままなので、最後までひとり合点気味な存在にしか思えず。終始呆然としている中島がカーネル・サンダースを抱えて走るシーンなど、その前後の処理がご都合主義になってしまうので盛り上がらない。KFCが異様に食べたくなるのでプロダクト・プレイスメントとしては成功。
元はWeb配信されていた短篇映画らしいが一本の映画に関わる人々の挿話が重なる構成なのはそのためか。シナリオ学校の同期生が今では脚本家とシナリオ雑誌の編集者になっているとか、フィルムコミッション担当者と娘の関係など、従来の映画内幕もので触れられなかった人々に焦点を当てたのが良い。映画の中で映画愛を語る映画は鼻持ちならないが、青島×佐々部コンビだけあって臭くならない。俳優のパートは低調気味だが、殊に若手男優と大物女優の挿話が貫目不足なのが惜しい。
前作でもデジタルとの親和性の高さを感じさせた髙嶺剛だが、その後の18年の沈黙期間中に進んだ技術によってデジタルとフィルムを混濁させた極彩色の琉球夢幻絵巻を出現させた。〈連鎖劇〉と称して現実と虚構の往来をいっそう激しくさせ、劇中で映写される画面の内と外ばかりか、現実のスクリーンも軽々と越えて飛び出すかのようだ。既存の表現に囚われることなく、自らの奇想を具現化させるツールとしてデジタルを活用した最良の例であり、沖縄映画の新時代到来を予感させる。
実家の台所で横山が母のキムラ緑子と食卓を囲んで話す何でもないシーンが素晴らしい。多用される『ほなね』など大阪弁の柔らかな語感を大事にする小林聖太郎はデビュー作「かぞくのひけつ」のようなドライでペーソスのある喜劇が向いている。荒っぽい題材ではヤンチャさが不足。横山は佐々木がどんどん突っ込んでくるのを受け止めきれず、TV版の濱田岳が巧みな受けを見せるだけに、つい比べてしまう。壁に貼られたVシネマのポスターに映る急逝した芸人テントの姿に万感の思い。