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最近、妙に長いタイトルが目につくが、この映画の場合は、後半で、物語の設定に即したものとわかって、一応納得した。つまり、時間軸が逆向きの二人が、この一時点で逢い、束の間の愛を生きるという、原作由来のアイデアだけで成り立っている物語だったのだ。まあ、いまはメロドラマが成り立ちにくい時代だから、窮余の一策というか、その手があったかと感心はしましたけどね。ただ、電車の中での出会いから始まる恋愛描写、もう少し捻りがないと、嘘くさく見えてしまうのではないか。
これ、児童映画だよね。イヤ、バカにしてるんじゃなくて、マジで。だいたい、若者三人組からして、やっていることのいちいちが子どもっぽいところにもってきて、ホンモノのガキ二人組と出会うと、彼らとほとんど同列になる。それでいて、クマがゾンビ化した男を喰う(たぶん)光景をガキどもに見せまいと、彼らの目をふさぐような大人としての優しさもある。となると、文科省推薦になるかどうかは別にして、最初からヒューマンな児童映画を目指して作ったら、もっとすっきりしただろう。
そうか、これは1987年の話だったのだと改めて思ったのは、田舎町のビデオ屋に並んでいるのが、DVDでなく、ビデオテープだったからだ。その厚いパッケージが、中学生のガキどもの妄想を掻き立てるのに効いている。彼ら四人組が、廃車置き場でだらだらしている場面などは、もうひとつ工夫がないという感じがするが、夜になってからは、面白くなる。一番ひ弱そうなガキが、いきなり主人公にパンチを食らわすところとか、暴走族とのやりとりとか、なかなかいい線いっているのである。
「新世代の青春映画」といわれてもなぁ。草でラリったり、ロックで熱くなるぐらいしか、やることないのかよ、と思ってしまう。むろん、作り手としては、そのように自分が本当に何をしたいかわからぬまま日々を過ごす彼らこそ、いまの若者のリアルな姿だと思って作っているのだろうが、その表現がなんとも弱い。だから、そんななかで、吉村界人演じる主人公が、岸井ゆきの扮するヒロインに、一途な想いを抱いて悶々としているというさまも、それらしい説明に留まっているというしかないのだ。
筒井康隆の『佇む人』がヒントなのか、と思って見ていると忘れたころにタイトルがようやく出て、そこから全然違うSFに突入する仕掛けが鮮やか。二つの異界の接触というテーマ、最近いくつか映画(アニメ含む)でもあったが本作は画面が地味な分、後からじわじわ効いてくる。具体的には主人公の青年がどんどんお洒落になっていく演出がもたらす効果である。泣き虫の美少女の涙が逆に青年を泣かせる理由に観客も泣けるぞ。三木作品の常連、野間口徹もよく見るとちゃんと出てるね。
悪くない企画、ただし犯罪がらみにしない方が良かった。子供に銃を向けるのはよろしくない演出である。それでその二人の少年だが、何となく最初から田宮と青島のダブルイメージという線に見えてしまう。意図的なものだろうが。問題なのは、最後まで見てもつじつまが合ってる気がしないんだよね。トンネルを抜けるとそこは異界、という世界観は最近の日本映画は全部そう、不思議だ。見事なのはロングショットで空間を統括する手法。ロケも丹念だし、ここでもう一本くらい撮れるのでは。
カッコ悪いことへの思い入れが強すぎて、妙に重い映画になった。廃車置き場シーンとか長い。師匠相米へのオマージュなのか。脚本家が監督も兼ねると、全部きちんと描きたくてこうなる。それでいて重要な場面が「決まって」ない。浅川梨奈が、営業上おっぱいをもませるわけにいかなかったのか、と勘ぐってしまう。良かったのは問題の夜、格下のつもりだったミツルに主人公が殴られる場面展開。ここが見事だったので推薦できる。全体に撮影が上首尾で、ラストの泣き笑いにぐっときた。
主役の男二人はかっこいい。しかし女のドンくささは何なのか。女優に罪はない。話がヘンなのだ。あの男がヤバいブツをあんなに不用意に女に託すわけがない。中身を女が自由にできないようにしなきゃまずいでしょう。ただ面白いのは主役じゃない方の女がかえって健気に見えてくること。ネタバレなので書けませんけども、私はこっちの女の方が好きだね。主演のパツキン少年のキュートさには痺れる。オレって女より男の方が好きなのかも、と思ってしまうくらい好き。有望株として良い。
うんざりするほど作られる純愛映画でも、この監督ならと観る気にさせる三木孝浩を持ってしても難易度が高い作品と思ってしまうのは、ヒロインが抱える秘密にあり。SF設定が導入されるが、難病や記憶喪失と扱いが同じでは恋愛劇を都合よく動かすために利用されるだけなので、台詞で一気に説明するだけで納得しろと言われてもねえ。主人公たちもその運命に従うだけで運命を切り拓いたり、未来を変える気もない。小松菜奈の薄い芝居に絶好の理由づけが出来たという意味では画期的。
これが第3弾と聞いて驚き、前2作を先に観ると演出は真っ当なので安心して本作に接すると、校舎から飛び出した少年たちが校庭を疾走する大ロングからトンネルを抜けていくショットへ繋がる冒頭からやはり安定感あり。森の中の死体を「ハリーの災難」よろしく靴底越しに撮ったりと趣向は諸々凝らしてあるが、少年たちはまだしも、中心となるダメ男たちの描写に時間を割かれるので、ファンならば付き合うのは苦でもないのかも知れないが。森の中の横移動ショットは良いが多すぎる。
誰とでも繋がって欲望の直取り引きが出来てしまう今と違い、30年前の中学生は初心だった。童貞中学生のエロ衝動に映画の可能性を求めた意欲作かつ、迂回作戦を取りつつ、ちゃんと中学生にある行為をさせているのが立派。ただ、初監督作ということもあってか、全体に力が入りすぎ、各シーンを最初から最後まで見せようとするので間延び気味。この話で2時間弱は長く、そのせいで会話の妙や脇の挿話も埋もれ気味なのが惜しい。今しなくていい行動を取り続ける父役の光石研が出色。
カッコ悪くて不細工な青春への苛立ちがそのまま本作のスタイルになったようで、その歪さが魅力になっている。ライブで注目を集めつつもアパートの奥まった薄汚い部屋で鬱々とする主人公の焦燥感と衝動が良い。ただ、クスリの描写があまりにステレオタイプで、ごっこにしか見えないのが惜しい。柳楽優弥、松浦祐也らの怪演が出色。自主映画時代の傑作に惚れ込んだ身としては新鋭・中村祐太郎の才が存分に発揮されたとまで言い切れないのがもどかしいが、その片鱗は感じ取れるはず。