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笑えないんだよね。べつだん斜に構えているつもりはないんだが。たまに、佐藤二朗扮する宮澤寬治の突っ込みにクスッとなる時はあるのものの、思わず吹き出してしまうという具合にはならないのだ。何故なのか? 木村文乃のオーバーな演技も、そのように設定されたキャラだから、非難しようなどとは思わないが、これを笑うのはどんな人なのだろうと思ってしまう。水資源とか子殺しとか、話に工夫はしているのだが。まあ、アート映画ではないけれど、観客を選ぶ映画ではありますな。
癌が作れれば、癌を治せるという信念のもと、実験によって人工癌を発生させ、その後の癌研究に道を開いた山極勝三郎という人のことを、本作で初めて知った。その点では、ありがたかったが、前半の、信州上田から、東京の山極家に婿養子として上京し、東京帝国大学の医学生になる若き日の勝三郎役の演技が、悪いけど学芸会並みで、物語の牽引力を削いだ。あと、兎の耳で実験を重ねるという本筋で、病気による兎の死以外に前途を危ぶませる問題がなかったのか気になった。
大事なことがありながら、目先の楽なことに逃げる。誰にでも多少はある人間の弱さだが、この男は、肝腎の落語はおろそかにして、酒に逃げ、女に逃げる。まったくしょうもない奴だが、どこか憎めないところがある三語郎に友部康志はぴったりだ。こいつが、どこで正面切って落語に向き合うかという話だが、師匠役の入船亭扇遊師匠が、なんとも渋くてカッコいいのだ。対して、三語郎を支える村上真希扮する真海は、優しい佇まいはいいのだが、内心の屈折がいまひとつわかりにくい。
森を撮ったショットに惹かれる。その森の奥へ延びた道の途中にある太い木を越えると、人が朧に消えていく、というのは悪くない。もっとも、最後になると、その細い道筋に死体が累々と横たわることになるのだが。そこに到るまで、禍々しい情景と懐かしさをそそるような情景が交差するが、それを一連のこととして持続させるのは、歌と物音だ。歌は懐かしく流れ、音は不穏に響く。それらは確かに、ある種の統一を形作ってはいるのだが、そこに没入させるほどの磁力は感じられなかった。
テレビ版の視聴率低迷をわびてボヤく冒頭が可笑しい。主人公トリオの役柄が微妙にいつもと違うのが番組のポイントだった、しかし「外した」理由はそこにあろう。堤さん、考えすぎちゃったんだな。でも木村嬢の七十年代っぽいパンツスタイルは新鮮で見どころとなっている。布の上からでもぷにぷにしたお尻感は伝わってくる。でもせめて「時間ですよ」クラスの入浴ヌードが欲しかった。こんな時でも櫻井脚本は真面目一点張りで融通が利かないが、芯がしっかりしているのは高評価だな。
公式的な偉人伝でなくユーモアあふれるのんびりした感じを目指しているのに好感。賞を取れなかった人というフェイントが効いているわけだ。だがそういうのは難しいんだね。立派な人でした、という線を最終的に避けるわけにはいかないから。それで星が伸びなかったものの、お菓子のつもりでうっかり正露丸を食べてしまい、その瞬間実験動物の色を変えることを思いつく脚本が上手い。最初から金平糖と主人公の関係で話を進めていく作りである。教育レベルの高い上田市ならではの企画だ。
私は一時期ずっとカセットテープで落語の「替り目」を聞いていた。志ん生バージョンである。この映画もそれを基にしているようだ。また「ファット・シティ」を思わせる話の流れも、まあこれしかないんだろうな、とは思わせてくれる。酒は怖いよ。むしろ思いがけないのは主人公の恋人の方の事情であり、彼女もまた一種の依存症であると分かる作り。ただし、きちんと出来てるわりに星が伸びないのは、ありがちなネタでこしらえている感じがぬぐえないからだ。役者は好演で見応えあり。
森のスモークの流れ方、人間の消え方、揺り椅子の動き方、それにトンネルの「結界」的な感覚など画面の面白さは一見の価値あり。わけありの人々を乗せ移動する車のセンスも良く、というか画角の切り取り方が上手いのか、これも見どころと言える。劇的葛藤を期待させるゆるゆるした運動感覚もいい。音楽のことは私じゃ判断のしようがない。アコギ感めちゃ高でニューフォークみたいだが最近はこういうのが流行りなのか。日本風ソニマージュという線で悪くないが物語は弱いでしょ。
いつもの堤ワールドなのでお好きな方はどうぞという感じだが冒頭から不発に終わったTVドラマ版への自虐ネタを織り交ぜ、自分がやりたいことだけを断固やるという潔さは意外に好感。まあ、小ネタにばかり気を取られて本筋が進まないどころか、進路先不明になることもしばしば。しかし向井がほぼ全篇にわたって金田一コスプレで登場し、「悪魔の手毬唄」+「八つ墓村」のパロディをやるのだから寛大な横溝ファンである筆者は「金田一耕助の冒険」の姉妹篇ぐらいのつもりで観ていた。
かつて神山征二郎が撮っていたような立身伝映画のバリエーションなので真面目な作りだが、エンケンと岡部尚が中心に来る配役がとんでもないので良い意味で古めかしさが無い。エンケンに学生服を着せて晩年まで演らせるのも支持。映画はこうでなくては。低予算映画で江戸東京たてもの園を使用すると観光地的アングルそのままに無造作に撮っていて興ざめすることがあるが、本作はちゃんと構図を工夫して空間的広がりにも留意し、映画屋なら当然と思えない事が多い昨今、技倆を感じる。
ちゃんと正面からクズを描いている。控え気味でも過剰になっても嘘くさくなって監督の人間を視る目が露呈するというのに、彼女に優しくされるほどに露悪ぶってサディスティックに振る舞う主人公のクズぶりから目を逸らさない。人間を描く質が上等なのだ。売れない落語家を演じる友部の奇怪な容貌(失礼)が素晴らしい。喜怒哀楽が全身から噴出して体内を循環して表情に現れた時、物語は大きく動く。それゆえ彼の表情が凝縮されるクライマックスに感動。壱岐紀仁、要注目監督である。
「マジカル・ミステリー・ツアー」を大和屋竺が劇団天象儀館で撮ったらこんな映画になったかも、などとあらぬ妄想に駆られるほどマジックリアリズム的世界がいとも簡単に出現し、監督が自ら作曲し唄ったという楽曲と共に引き込まれてしまう。木漏れ日、流れゆくスモーク、チェアに横たわるりりィの美しさ。音響を軸に映画が組み立てられているだけに爆音で観れば全く別の貌が耳を奪ってくれそうな予感。繰り返される〈がっしゃんどん〉の語感の心地よさは〈どですかでん〉を超える。