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やはり、中村勘九郎の動きが画面を活気づけている。舞台で鍛えているから当然だろうが、やや甲高いその声もよく通って小気味よい。ただ、十人もいると、松坂桃李の霧隠とか、他とはキャラが違う村井良太の海野六郎以外は、個別の芝居場がないと誰が誰だか見分けが付かなくなる。話は、大坂夏の陣のあとの展開など、よく工夫していて面白いのだが、淀殿の幸村に対する秘めたる恋は、それらしい情感が皆無で、脇筋としても生きてない(役者の演技の問題か演出のせいか?)。
ご当地もののなかでも、函館は、どうやら特権的な場を占めているらしい。ま、画になるロケーションに事欠かないから……。まして本作は、函館市長賞を受賞したホンだから、この街に似つかわしい建物が舞台になっている。そのアパートに集う人たちも、それぞれ場にふさわしくワケあり風で。久し振りに片岡礼子をスクリーンで見られたのは嬉しいのだが、主人公を演じる黄川田将也の演技がなあ。自身の小説のメモ書きを見て、ウワッとばかりに投げ出す、あの所作は、どうよ?
福山雅治、初の汚れ役(!)に挑戦、というところか? イヤ、冒頭から二階堂ふみの新人記者と組むまであたりは、長年のパパラッチ稼業に汚れた男の荒れた感じを出していて悪くない。とくに、半ば余計者扱いされている編集部で、自分の存在を強調するような大声を上げるところなど。だが、写真週刊誌が全盛を誇った1980年代を知る者からすると、この企画自体、時代とずれているのでは、という思いは禁じ得ない。それとも、週刊誌にもっとスキャンダルで頑張れという応援歌か?
いま、移転を巡って何かと問題の築地市場のドキュメンタリーだ。映画として目を見張るようなところはないが、築地に働く人々の声が聞けたのは良かった。とくに、仲卸の人たち。なかでも、一番良い魚を選ぶということではなく、お客さんにとって良いと思う魚を選ぶのだ、という意見には、なるほどと膝を打った。魚を見分ける術もさることながら、買う側との連携が大事というわけだ。それと、魚離れの著しい今日、港区の小学校が丸焼きの魚を給食に出す試みをしていることに感心した。
好評舞台の映画版。情報を事前に得ていたわけでもないが、見ると圧倒的に面白いのはラストの舞台的趣向を活かした部分である。もちろん火や水を大道具として大胆に使うのは映画だからこそ。ただし皮肉と言えば皮肉だが映画的空間を作り出そうとした野外のアクションがかえって中途半端か。仕掛け満載のお城、真田丸での十勇士決戦と幸村の突撃シーンがクライマックスで、見終わるとここももっと舞台感覚を出した方が良かったのでは、と思えてしまうのだ。舞台の露払いじゃないのに。
京都にこういう職人長屋があるそうだ。脚本のヒントになっているかも。そこにやってくる「書けない新人作家」の人生修業という作り。芸は身を助くというように、本業はスランプでもコーヒーの淹れ方がプロ級なのがいい。セドリ(古書の転売)で細かく稼いでいるうちに本の真の価値が分からなくなってしまった男、というのがじわじわ判明する流れも上手い。それと何と言ってもピンホールカメラでしょう、この映画が星を伸ばした理由は。冒頭と最後が韻を踏んでる感じも実によろしい。
監督こだわりのTV映画をリメイク、私は知らなかった作品だ。八十年代写真週刊誌全盛期を知らないと意図不明な雰囲気もあるが、逆にあの時代を経験した人達のその後(が現在)という風に読み替えてある。面白いのはこの三十年で、キャパの超有名な戦場写真に異なる解釈が生まれたことだ。もちろん映画のコンセプトとは無関係である。ある決意の下に裏街道を自ら歩いているカメラマンを演じる福山がさすがに様になっていた。原作より登場人物を減らしたのもいい結果につながったな。
築地市場の移転がこんな風にねじれるとは誰も予測していなかった時期に完成した作品。なので食育とか多様な話題を取り上げつつも政治的な生臭い問題は避けている。それが正解。様々なエキスパートや卸の職人が自分の先祖伝来、培った技術で流通業界に貢献するのをじっくり見せる。昔こういう番組、衛星NHKで見たな、と思ったら同じハーバードの文化人類学の先生が現れ、ひとくさり。築地が日本観光の人気スポットになったのは彼の著書のおかげ。なので題名も横文字。撮影も良好だ。
良い悪い以前に、いつもの堤映画なので劇場で観ては充分に愉しめないというだけ。冒頭から延々とアニメを流して、もうすぐ実写になりますと表示したところで全く面白くもなんともない。大味な合戦シーンは赤と黒の甲冑が目立つところからして「天と地と」的。大島優子は脇に回ると悪目立ちするだけなので、女忍者役は台詞も含め失笑。エンドロールで延々とその後の話を見せて面白がっているところもテレビのながら視聴ならいいが劇場で強制的に画面に向き合わされると不快感のみ。
函館映画が多いので何を撮るかは大きな問題になるはずだが、乱歩映画でも撮れそうな古い西洋風アパートの室内を中心に描いているのがいい。住人たちとの交流も程よく、片岡礼子が以前にも増して魅力的で自由に動き回る姿が映画を担う。主人公はセドリ(古書店からの転売で利ざやを稼ぐ)で古書を集めるが、書けない作家が開く店なのだから、均一棚から抜くにしても無造作に大量に取るのではなく吟味するぐらいの愛情を珈琲と同じぐらいかけてほしかったと思うのは古書派の僻みか。
大根映画はいつだって上手い。ダサくなる、退屈しそうな箇所を巧みに切り抜けるセンスは全盛期の伊丹映画にあった批評精神に通じる。「盗写1/250秒」のリメイクとなる本作ではアレンジャーとしての大根の才がいっそう発揮され、バディ映画、成長譚としての骨格も明確にアッパー系エンタメとして前半は完璧。クライマックスの展開もオリジナルと同じだが、撮れる撮れないの一瞬の迷いに対する処理は本作独自だけに、新人記者の二階堂がカメラへの執着がそれほどあったのかは疑問。
外国人が撮った築地ドキュメンタリーだと最後のクレジットが出るまで思い込んでいた。見事に騙されたというべきか。映像もナレーションも如何にもそれ風なのだ。こじんまりしたテレビのドキュが劇場公開される時代に、海からの空撮で派手に始まるこうしたアプローチはアリ。外人観光客が詰めかける理由も見えてくるが、この映像のトーンは食を映すには不似合い。外人研究者が築地で落とし物をしても戻ってくるとオーバーに言うのを日本人が得意げに撮っていたのかと思うと……。